「阪急神戸本線」の版間の差分

129 バイト追加 、 2008年10月14日 (火) 20:50
神戸本線は開業後その線形を生かし、戦前は阪神間を最も迅速に結ぶ交通機関として、特急を走らせた。また阪神と[[西宮神社]]の祭りの日に'''沿線の街灯を停電させた'''り、西宮北部([[甲陽園]]と[[苦楽園]])の開発を争った挙句に[[阪急甲陽線|甲陽線]]を敷設したりといった、様々な<del>泥臭い</del>競争を繰り広げながら、山沿いを中心に沿線の開発を進めた。[[神戸市]]、[[芦屋市]]や[[西宮市]]の[[六甲山]]麓沿いが高級住宅街とされるようになったのは、その最大の功績である。
 
しかし、戦後も[[日本国有鉄道|国鉄]]時代はサービスの観点で勝っていた阪急であるが、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]が発足すると、かなり地位が危うくなった。JRはそれまでのボロイ車両を使っていた国鉄とは異なり、新車を投入するとともにスピードアップに務め、阪神間の所要時間で阪急・阪神に対し大きく優位に立った。一方、阪急はかなり高規格な路線であるにもかかわらず、[[2006年|平成18年]]まで最高速度が'''110km/h'''でかつ'''梅田~三宮間の特急の所要時間がカーブだらけで駅間距離も短い路線を走阪神特急と同等'''という体たらくで、「競争には加わりませんよ」と開き直ったかのような、消極的姿勢になった。
 
元々は十三と西宮北口しか停車駅が無かった特急だが、[[阪神淡路大震災]]による乗客減に悩まされて停車駅を増やすことにした。かの[[川島令三]]大先生もおっしゃっているように、本来ならば芦屋市の[[芦屋川駅]]に停めるべきだったのであるが、結局は'''震災前の乗客数にばかり目が眩んで'''[[岡本駅]]に停車させた。これには最早、名ペテン師として名を馳せた小林一三の面影など微塵も残っていないと言える。
匿名利用者