欲望から転送)
「赤ん坊は生まれたとき、「欲しい」と言って泣くのだ! 生きるとはすることだ!」
欲 について、鴻上光生
Wikipedia
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(よく)とは欲望とも呼ばれ、全ての生物にとって生存と進化の原動力となっている根元的な概念である。

概要編集

およそ全ての生物は「他はどうなってもいいから自分だけは栄えたい」という至上目的を持っている[要出典]。ある単細胞生物が別の単細胞生物を「補食」し多細胞生物へと進化した[1]のも、周囲のミネラルを大量に体内へ取り込み[2]」を形成したのも、周囲にいる別の生物よりも栄える為である。また生物が始めて目という器官を持ったのも、他の生物をいち早く発見し排除して自身を守り他者を追い払うのが目的となる。植物も争いあうように枝葉を広げ根を伸ばし、別の植物を枯らせてでも生き延びようとする。そういった感情や思想を越えた本能的な目的こそが欲であり、あらゆる行動はこれが主体となって派生したものである。

派生した欲は「生存」「繁殖」「幸福」の三種類に大別される。生存欲は文字通り生き延びることを求める欲で、自身とその生存環境を強力に保全しようとする。例えば当節流行りのエコロジーも、欲を否定する宗教的価値観(後述)により様々な建前論が付与されてはいるが「自分達が生きていけるような環境を保ちたい」という欲から生まれている。また生物の進化も、環境による淘汰から逃れ生存するための欲が原動力となる[3]。繁殖欲は言わずもがな、洋の東西を問わず人類が燃やし続けるセックスへの飽くなき情熱がその証左となる。幸福も人類を鑑みると分かりやすく、どんな時代であろうと「自分は幸福だ」と本能的に思おうとする「ポジティブシンキング」を絶対正義とされる社会が形成されている事こそが幸福欲の強さ根深さを示していると言えるだろう[4]

宗教と欲編集

宗教において欲は悪とされやすいが、これは宗教の根元が「動物性の否定」にある為である。宗教における信仰対象が人間ではなくと呼ばれる超越存在であるのもそのためで、「神仏はすべてにおいて優れている。人間は神仏に選ばれているが、動物は神仏に選ばれていない。故に人間は神仏には及ばないが動物よりは優れている」というのが宗教の大前提となっている。そこから動物にとって全てに優先する概念である欲を否定する事で、「人間は動物ではない」という結論を導こうとするのが宗教というものである。

また宗教が政治に取り込まれると、為政者は自身の欲だけを正当化し一般人の欲を抑制するために宗教を使用し始め、宗教的価値観が欲の所持や発露を否定するようになっていった。しかし欲は人間にとっても進歩のために必要なものであり、中世を過ぎ宗教思想よりも科学的思考が重視されるようになると「より遠くへ行きたい」「もっと便利に生活したい」「不特定多数とセックスしたい」など様々な欲が社会に溢れ、それを叶えるために文明はすさまじい速度で成長していった。宗教による欲の抑圧は成立初期の文明維持には有効だったかもしれないが、現代社会ではもはや不必要な概念と言える[5]

脚注編集

  1. ^ 細胞内のミトコンドリアも、本来は別種の生物である。
  2. ^ 原始生物界において海中のミネラル分の変化は死活問題であり、体内にミネラルを貯蔵する器官を持つまではちょっとした水質変化が死に直結していた。
  3. ^ キリンは高い位置に生える新芽を食うために首を伸ばし、ムックは祖先が北極付近の生物だったため体毛が非常に多い。
  4. ^ また犬や猫でも「快適な寝床」「楽しい遊び」など自身を幸福にするモノには強く執着する。これは一見生存欲にも見え混同されやすいが、「生存には必要ではないが、美味しいからちゅーるを求める」「飼い主を怒らせると生存に影響するが、楽しいからパソコンを蹴り落とす」など自身の幸福感を優先する行動は生存欲ではなく幸福欲に根差している。
  5. ^ これと似た物に共産主義がある。出来て間もない国家には共産主義による統制経済が有効だが、自立する経済体制を持つ国家には不必要なイデオロギーとなっている。

関連項目編集


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