加藤の乱

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「加藤は熱いフライパンの上でネコ踊りさせておけばいい」
加藤の乱 について、橋本龍太郎

加藤の乱(かとうのらん)とは、2000年に加藤紘一らが企てた政変である。首謀者の一人である加藤紘一の名にちなんで名づけられた。

概要編集

2000年、森喜朗率いる与党連合は、相次ぐ不適切発言によって支持率が急落していた。そこで、民主党をはじめとする野党連合は与党連合に宣戦布告し、国会中継を乗っ取ろうと計画した。しかし、数の力で勝る与党連合の前では到底敵うはずはなかった。

そこで、与党連合の一員であった加藤が謀反を起こし、野党連合と結託して、与党連合を倒そうと試みた。これが加藤の乱である。加藤派の中には、山崎拓や谷垣禎一、当時無名のガースーなどが加わり、与党連合は一時窮地に立たされた。

ところが、与党連合の幹事長であった野中広務が加藤派の切り崩しにかかったことで、加藤派は分裂。そのため革命軍は、もはや勝ち目はないと見て、本会議すっぽかし&ホテルひきこもりという、野党の常套手段セコい作戦に切り替えた。

しかし、加藤派の大将である加藤紘一は「オレ一人だけでも凸るんだい」と駄々をこね、神風特攻を覚悟。その様があまりにも惨めであったことから、見かねた谷垣が、加藤の腕をつかんで「加藤先生、大将なんだから!一人で突撃なんてダメですよ!」と言った。すると加藤は涙目になって突撃を断念した。

その後、偽メール寿康の野次に逆ギレした松浪健四郎が野党連合に水を浴びせたことが決定打となり、戦闘は与党連合の勝利に終わった。

加藤の「乱」と呼ばれているが、歴史的には応仁の乱大塩平八郎の乱ほどの騒ぎにはなっていないことから、「加藤一揆」くらいがちょうどいいのではないかとする政治学者もいる[要出典]

結果編集

勝利した与党連合であったが、その末路は決して明るくなかった。与党連合の支持率低下には歯止めがかからず、大将であった森喜朗はゴルフ休暇に追い込まれた。また、与党連合を勝利に導いた野中は、その後大将になった小泉純一郎自民党をぶっ壊したことにより立ち位置を失い、失意の中亡くなった。

一方加藤のほうも、この事件以後すっかり反主流派に成り下がってしまい、挙句の果てには実家がネットウヨに放火されてしまう始末。民主党の支持率も大きく変わることがなく、誰も得しない結末となってしまった。

加藤先生、大将なんだから編集

谷垣が大袈裟な仕草と台詞で加藤を説得するこのシーンは、テレビで幾度となく放映され、ついに2000年の流行ギャグとして、流行語大賞を受賞。受賞スピーチで谷垣は「加藤先生、大賞なんだから!」と発言し、大爆笑をかっさらった[要出典]

関連項目編集