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泡踊り

出典: 八百科事典アンサイクロペディア(大丈夫、本当の項目名は阿波踊りだから。君は間違っていないよ。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「泡踊り」の項目を執筆しています。
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独自研究:この記事や節の内容は独自研究であるとする見方もあるようですが、ここアンサイクロペディアで笑いを取るためには自分のアイデアを記事に注ぎ込む事が不可欠です自己言及的なページにならない程度に我が道を突き進んでみてください。

泡踊りとは、「ええじゃないか」のように鬱屈した庶民の不満から生まれた舞踊の一種。

目次

概要編集

江戸時代中期、政治と経済の癒着を廃し健全化を図ろうとし松平定信が「寛政の改革」を執り行った。これは清廉潔白な政治を取り戻すための荒療治であり、確かに一定の成果をあげ江戸幕府の権威回復や諸大名への牽制効果は高かったが庶民からは不満が続出していた。賄賂飛び交う金権政治と揶揄されはしたものの、なんだかんだで庶民にまで利益が降りてきていた時代を懐かしみ「元の濁りの田沼恋しき」と言われるようになっていったのである。

また江戸幕府は度々贅沢禁止質素倹約を押し付けるような政策を実施しており、志高い一部の知識人以外には総じて不評であった。それに対する社会的な反発として有名なのは「ええじゃないか」。天から有難い札が振ってきた、という設定で「ええじゃないか」「ええじゃないか」と叫びながら街を練り歩くという狂気じみた行為である。泡踊りはそれに近いもので、「贅沢禁止を徹底した」ということで全裸になり身体に洗剤で作った泡だけを纏わせて「♪所詮浮き世は泡ばかり、弾けて消えておしまいじゃ」と節を付けて声を上げながら通りを練り歩いたとされている。

異説編集

徳島県阿波地方で始まったというのは有名な俗説だが、他にも「粟踊り」が転じたという異説が存在する。江戸時代には度々飢饉が起きており、米の値段は乱高下が続いていた。そんな中で百姓集は粟や稗を主食としていたが、飢饉により税収が滞った時期には粟や稗まで年貢として取り立てる動きが出ていった。

それに反発し、水で濡らした身体で粟倉に飛び込んで全身粟だらけになって「どうせ食えないものなら、こうしてやる」と水で濡らした身体で粟倉に飛び込んで全身粟だらけにし、それを見せびらかして役人をわざと怒らせて回る百姓が続出。税収は減る上百姓が飢え死にし農作力が落ちてしまうというダブルパンチに見舞われた役人たちは、百姓虐めを中止せざるを得なかったのである。

その後編集

現代ではそもそも粟の生産自体が少ない上、こういった集団ヒステリー的な行為が行われにくい土壌が出来ているため、大掛かりな泡踊りはまず行われない。ただし一部の浴場では、泡を纏って踊ることで入浴客を楽しませる「泡踊り」が行われることがある。本来の泡踊りとは大きく異なるが、泡踊りの名前だけでも伝統として残っているのは喜ばしいと言えるだろう。

関連項目編集