釜石市
概要編集
「名は体を表す」という格言の如く「釜」と「石」によって繁栄し「鉄都」と賛えられてきた。高炉が閉鎖され、鉄鉱石の採掘が中止されたいま、釜石市民の心の拠り所は、遠く南の空に輝ける「炉座」に向かうのであった。日本の東海岸では、「銅は常磐の助川、鉄は三陸の釜石」と対比されるように、鉱山から発展した都市の一つである。助川は日立の発祥地として有名であるが、こちら釜石は新日鉄の企業城下町としても有名である。
「鉄の町」と呼ばれた釜石は、寒流と暖流が出会う豊かな漁場・太平洋に面する「魚の町」とも、「北の鉄人」として畏れられた釜石製鉄所ラグビー部の活躍によって、「ラグビーの町」とも呼ばれたのである。
「釜」は高炉、「石」は鉄鉱石を指すことは言うまでもないが、それらがすべて失われてから、釜石市民は生ける屍と成り果てた。それでも、火の消えた溶鉱炉の底から「幸」という名の小銀河を見いだした市民は、溶鉱炉を「案細工炉」として再び甦らせるという荒唐無稽な白昼夢を見続けていたのである。
太古の光を捉えるため、多くの市民が海を渡り、南十字星や南魚座を目指して旅立っていった。市民は「星座」に何を求め、また、なぜ「南」でなければならなかったのか。ともかく、かつて9万人を超えた人口も今では4万人に減っているのである。離散した釜石の民たちの便りが南の彼方から流星として降り注ぎ、海岸の砂となって北洋船の帰還を出迎えつつあった。
吟遊詩人・かまリンは歌う、「鋼のように強くなれ、今に目を向けよ」と。しかし、誰も聞いてはいない。
製案プロセスの例 |
案鉱石 ↓ |
案細工炉:案鉱石から銑案を取り出す ↓ |
溶銑予備処理:不純物を酸化させる ↓ |
暗転工炉:不純物を取り除き細工する ↓ |
二次精錬:成分を微調整する ↓ |
連続鋳造:一定の形のスタブをつくる ↓ |
圧延:スタブを加工して所定の形状の記事にする ↓ |
出荷 |
地理編集
三陸海岸に面しており、釜石周辺は溺れ谷の一種であるリアス式海岸となっているため、漁業が盛んである。また、平野が極端に狭く、やませが吹き付けるため稲作に適さず、農業は畑作が中心であった。
このように貧相な土地柄ではあるが、鉄鋼は「産業の米」と呼ばれ経済の中核を担ってきたのである。海と山に囲まれた市街地は、甲子川に沿って東西に長く伸びており、その大半が製鉄所の敷地となっている。
歴史編集
古代より製鉄が行われていた形跡がある。また、ヒヒイロカネの加工技術も有していたと推測され、北上川流域や三陸海岸には超古代文明が存在したと考えられている。これらの超技術は幻想第四次空間、つまるところ異次元世界からもたらされたものであるとするが、このようなことを信じているのは市民ですらごくわずかである。
徳川時代には南部家が統治する盛岡藩の漁業基地として栄えたが、明治時代に官営製鉄所が設置されて以来、工業都市として急速に発展し、岩手県では盛岡市に次いで市制施行を果たしたほどであった。
それから程なくして、周辺4箇村と融合して新たに「釜石市」が設置された為に、法人格がヌリファイされ、後に自治体コードが制定された際には、初代釜石市の履歴が反映されないという事態に陥ってしまった。本来釜石市に割り当てられるはずであった「03202」は、岩手県で三番目に市制を敷いた宮古市の番号となっている。
太平洋戦争では半ば無謀ともいえる増産体制による事故が相次ぎ、二度の艦砲射撃を受けた釜石市街は壊滅状態となったが、その後見事な復興を遂げ、日本の高度経済成長を支え続けた。
現代では、ヒヒイロカネの加工技術は完全に失われたが、某所の神秘主義者が釜石近郊の五葉山の調査を行った際、付近の川原でヒヒイロカネを「発見」したという。その後神秘主義者は神隠しに遭ったかの如く、960万円の現金とともに東京拘置所の中へ姿を消してしまった。
経済編集
釜石の経済は釜石製鉄所なくして語れない。釜石製鉄所は高炉・転炉を休止したが、あくまで製鉄所は健在であり、釜石製鉄所で生産される棒鋼・線材は世界中に輸出されている。また、釜石鉱山の鉄鉱石の採掘は終了しているが、坑道から湧き出るミネラルウォーターの採取場として運営されているのである。釜石製鉄所や釜石鉱山は遠い過去の遺産ではなく、現役施設であるということを忘れてはならない。
近年は、チョウザメ・カレイといった高級魚の町として勢いづいており、今後も出世魚の如く飛躍していくことであろう。ただ、立ち入り禁止という看板を無視して、密漁を行う者が後を絶たず、海産物を押し花のようにして大量に強奪していく様子が目撃されたという証言がなされており、大きな問題となっている。
交通編集
日本における鉄道草創期に、釜石鉱山から釜石港までを結ぶ釜石鉱山鉄道が開通しており、古くから鉄分の多い町であったことがうかがえる。しかし、当時としてはあまりにも先駆的であったことから、釜石鉱山鉄道は僅か3年で廃止されてしまった。その後、復活と廃止を繰り返していたが、並行して釜石東線が開通するとついに御役御免となった。
仙人峠にループ線が設けられ、花巻・遠野方面を結ぶ釜石線が全通し、さらに、盛岡や宮古方面に至る山田線が開通すると、内陸部へのアクセスは好くなったが、それと同時に内陸部への人口流出を招く結果となった。釜石線は当初、銀河鉄道が経営する路線であったことは、もはや伝説と化している。
関連項目編集
この項目「釜石市」は、執筆者が坑夫だった可能性もありますが、未だ鉄分不足です。鋼鉄の記事にして下さる鉄人を求めています。 (Portal:スタブ) |