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赤城徳彦

経歴編集

東京大学法学部を卒業した後に、農林水産省に工作員として潜入。ここから第21回参議院議員選挙大敗ミッションが始まった。退官後自由民主党に潜入し、衆議院議員に当選。

2007年に松岡利勝が自殺、その後農林水産に精通しているとして農林水産大臣として安倍内閣に潜入。そこで自らが意図的に行った事務所費問題を暴露し、自爆。野党の追及が厳しくなると今度は顔に絆創膏を貼って話題をさらい、安倍内閣のネガティブキャンペーンを内部から行った。

この絆創膏は家庭内での妻からのDVによるものかとの憶測を呼んだが「モーホー炎」なる奇病と判明。その病名から一部の「ウホッ」で「アッー!」な人々の関心を集める。

その結果、安倍内閣は選挙で歴史的惨敗、選挙後の8月1日、任務が完了したとして安倍晋三に辞表を提出。農林水産大臣をわずか2ヶ月しか務めていないにも関わらず、支持率が滑落気味の安倍内閣にとどめの一発を与えた。

現在も自民党に工作員として潜入しているが、幹部はそのことに気づいていないようであり除名処分には至っていない。

スパイとしての評価編集

赤城はわずか2ヶ月の大臣期間で、安倍内閣の最も有名な閣僚となり、選挙大敗直後に辞任するというスパイとしての最高評価を得うるミッションを成し遂げた。赤城ほどの優秀なスパイは日本では誕生することは無いと思われる。1983年に農林水産省に入省したのも、2007年に安倍内閣に松岡の後任として農林水産大臣に任命されるためであり、選挙大敗というミッションの為に24年も潜伏するのは容易なことではない。スパイとしての実力は、WW2当時に連合国が送り込んだ牟田口廉也や、リヒャルト・ゾルゲやジュリアス・ローゼンバーグに並ぶといわれている。まさに日本が生んだ一流の工作員であった。

関連項目編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「赤城徳彦」の項目を執筆しています。


  赤城徳彦は腹を切って死ぬべきである。また赤城徳彦はただ死んで終わるものではない。
唯一ネ申又吉イヱスが地獄の火の中で加筆・編集させる者である。
赤城徳彦を笑って見ているだけの者も同様である。理由は未完成であるなら自ら完成させるべきだからである。
詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし。 (Portal:スタブ)