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赤坂見附

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「赤坂見附」の項目を執筆しています。

赤坂見附(あかさかみっけ)とは、将軍家の遊び場のひとつである。この地域では、将軍様とかくれんぼ指南役赤坂氏とが、かくれんぼをして遊んでいた。

なお、将軍家の遊び場としては、虎ノ門・赤坂見附・千鳥が淵・馬場・鷹場を総称して五大遊び場と呼ぶ。将軍様は引きこもっている時と、嫌々ながら書類にハンコを押している時と、忍者に指令を出している時以外は、いつも家来たちを無理やり引き連れて盛大に遊びまわっていた。(でも吉宗君だけは城内に友達がいなかったので、ひとりで下町をブラブラしてたみたい)

目次

地名の由来編集

子供の頃の家光君は一時ひきこもりだったせいもあって、見つけるのがヘタだったので、家来の赤坂君はどんくさい家光が拗ねたりすると面倒だし手加減してわざと見つかってあげていた。そのたんびに家光君が調子に乗って嬉しそうに「赤坂君みーっけ!」というので、ウザイけどしかたがないので、毎回付き合ってあげて、そのうちドサクサに紛れてお奉行様とかに取り立ててもらおうとドス黒い計算もしていた。

ところが、家光君は大人になってもかくれんぼが大好きで、週に3日はやらないと機嫌が悪かったため、赤坂君はいい歳した中年のオッサンになってもかくれんぼばっかりしてる毎日だった。家光君はかくれんぼ仲間が居なくなると寂しいので赤坂君を手放したくなかったとも言われ、その結果赤坂君は一生かくれんぼの相手をさせられ、出世とは縁がない残念な人生を送ってしまった。赤坂君が亡くなった後も彼の無念から様々な祟りがおこったため、後の人々はその地を「赤坂みっけ!」と呼んで祟りを静めようとしたという。これが転じて、現在の赤坂見附の地名となった。

なお、後年赤坂氏はかくれんぼの功績を認められ、代々将軍家のかくれんぼ指南役として明治維新まで存続した。子孫では、引田天功(本名:赤坂テン子)など数多くのイリュージョニストが世に出ている。


赤鬼伝説編集

赤坂氏5代目の赤坂影衛門は、かくれんぼのスペシャリストとしてその名が全国に鳴り響いていた。特に鬼になった時のなりふり構わぬ探しっぷりと、たとえ相手が将軍であろうと一切手加減なしの大人げの無さから、赤鬼と陰口をたたかれるほどであった。このことから、当時の江戸っ子たちは、しつこい借金の催促からしつこいNHKの勧誘まで、どこまでも追ってくるものを赤鬼と呼ぶようになったという。

なお、近隣の青山には青鬼伝説が残るが、この青鬼と赤鬼はまったく別のものであり、混同しないように注意されたい。

将軍家の五大遊び場編集

(鷹場の代わりに吉原を入れて五大遊び場とする説もある)

関連事項編集