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==「姑」の黄金時代==
しかしほんの30年前まで、日本各地全国津々浦々に姑は生存していた。週刊誌には「姑のしごき」や「姑とのソリが合わずに」「ああ鬼嫁、姑に熱湯攻撃」など、いささかセンセーショナルな見出しが踊っていた。女性の人生相談の八割が「姑」に関するものであったし、女性が三人集まって悪口を言えば必ず「姑」の名前が口をついて出たものである。かくして高度経済成長期までは、ウサギ小屋と呼ばれた日本の庶民の生活の中では、姑がそばにいることは至極あたりまえのことであったし、「姑の仇を嫁が討つ」という、嫁と姑の見事な連係プレーが見られたのである。しかしほんの30年前まで、日本各地全国津々浦々に姑は生存していた。週刊誌には「姑のしごき」や「姑とのソリが合わずに」「ああ鬼嫁、姑に熱湯攻撃」など、いささかセンセーショナルな見出しが踊っていた。女性の人生相談の八割が「姑」に関するものであったし、女性が三人集まって悪口を言えば必ず「姑」の名前が口をついて出たものである。かくして高度経済成長期までは、ウサギ小屋と呼ばれた日本の庶民の生活の中では、姑がそばにいることは至極あたりまえのことであったし、「姑の仇を嫁が討つ」という、嫁と姑の見事な連係プレーも見られたのである。
==ババ抜きの時代==
しかし時代が移り変わると、しかし時代が移り変わると、「姑」は一方的な悪役になり、旦那の月給が安いのも、息子や娘の学業不振も、厄介な隣近所とのつきあいも、時の政府が悪いのもみな責任は「姑」ということになり、時ならぬ「姑追放キャンペーン」が起こった。昭和末年のことである。この時期を境に、嫁姑同居という家族スタイルは忌避されるようになり、「[[三高]]の夫に[[ババ抜き]]」の家庭だけが、進歩的で明るい家庭とされたのである。かつての「[[魔女狩り]]」は、魔女と見做した老婆を捕縛して焚殺したものであるが、今度の「姑狩り」は、姑と見做した老婆を、強制的に一人住まいにする、あるいは養老院・老人ホームにぶち込んでなきものにする、といった陰惨なものであった。つまり徹底的な忘却によって、姑を記憶から抹殺しようとしたのである。
==メディアに見る姑==
また実写のドラマであっても、いわゆる「トレンディ・ドラマ」には、全くと言って姑は出てこない。たまに「家族主義的なコメディ」で姑はピエロのような役回りを演じることがあるが、それは「恐るべき神」であった姑が零落した姿に他ならない。
 
例外的に「姑」がまだ活躍するのが、[[橋田壽賀子]]ドラマである。「[[渡る世間は鬼ばかり]]」は未だに姑や小姑が繚乱跋扈する怪作である。しかしこの10年以上も続くシリーズは、いわば「姑の時代」の神話的な叙事詩なのであって、リアルさをこれに求めることは難しい。姑の黄金期を追憶的に回顧し、古きよき時代を次の世代につなぐ、と言う意味では「[[イリアス]]」や「[[オデュッセイア]]」のような作品なのだと言うことができようか。
==関連項目==
*[[山ん婆]]
*[[小姑]]
[[Category:人|しゅうとめ]]
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