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480 バイト追加, 2009年8月12日 (水) 20:50
メディアに見る姑
==メディアに見る姑==
メディア・スタディーズ(メディア研究)の中でも、姑の映像化ないしは表象化は、時代の変遷とともに興味深いものとなっている。例えば国民的アニメである「[[サザエさん]]」や「[[ちびまる子ちゃん]]」、「[[ドラえもん]]」あるいは「[[クレヨンしんちゃん]]」では、姑は全く出てこない。出てきてもそれは「姑の属性」を持ち合わせていない。例えば、「[[サザエさん]]」の'''[[磯野フネ|フネ]]'''は「婆」ではあるが、「姑」ではない。季節ごとに特別に出演する'''[[フグ田マスオ|マスオ]]の母'''は、立場からすると[[フグ田サザエ|サザエ]]にとって「姑」であるが、常時[[大阪]]に住んでいて、戦う「姑」の属性を抹消されている。このように「家族主義」なアニメですら、意図的に姑の存在を全く隠蔽し、闇に葬ってしまおうとする気配は濃厚である。に住んでいて、戦う「姑」の属性を抹消されている。「[[ちびまる子ちゃん]]」の'''おばあちゃん'''に至っては模範的な'''おばあちゃん'''以外の何者でもなく、'''おかあさん'''の姑である事実は丁重に[[無視]]されている。このように「家族主義」なアニメですら、意図的に姑の存在を全く隠蔽し、闇に葬ってしまおうとする気配は濃厚である。
また実写のドラマであっても、いわゆる「トレンディ・ドラマ」には、全くと言っていいほど姑は出てこない。たまに「家族主義的なコメディ」で姑はピエロのような役回りを演じることがあるが、それは「恐るべき神」であった姑が零落した姿に他ならない。
例外的に「姑」がまだ活躍するのが、[[橋田壽賀子]]ドラマである。「[[渡る世間は鬼ばかり]]」は未だに姑や小姑が繚乱跋扈する怪作である。しかしこの10年以上も続くシリーズは、いわば「姑の時代」の神話的な叙事詩なのであって、リアルさをこれに求めることは難しい。姑の黄金期を追憶的に回顧し、古きよき時代を次の世代につなぐ、と言う意味では「[[イリアス]]」や「[[オデュッセイア]]」のような作品なのだと言うことができようか。」のような作品なのだと言うことができよう。しかしその橋田壽賀子ドラマですら、近年では姑よりも[[アラフォー]]の[[妹]]や[[リア充]][[団塊の世代|団塊]]、[[ゆとり]]息子・娘の暗躍がよく目立つところである。
==関連項目==
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