'''アメ横'''(アメよこ)とは、[[東京]]から[[ニューヨーク]]まで続く全長約10,860kmの[[商店街]]である。正式名称は'''「アメリカ横断ウルトラ商店街」'''。
尚なお「'''アメヤ横丁'''」と言いう名称は、[[厚生労働省]]のによって{{検閲により削除}}される事の無ない様ように定められた別名、所謂いわゆる'''偽名'''である。
== 概要 ==
10,000kmを越える長大な商店街であり、る。東京側からこの商店街に入る際、入り口の[[東京ドーム (建物)|東京ドーム]]<ref>11回目迄1987年までは[[後楽園球場]]だった。</ref>で'''「ニューヨークに行きたいかぁ!」「オー!!」'''という掛け声を言いあうのが習慣となっているが、この時点で商店街に入れる人数がいきなり100人に絞られる。そして[[ニューヨーク]]に辿たどり着けるのはたったの2人。ニューヨークに辿たどり着くには'''「知力、体力、時の運」'''が必要とされる。途中で脱落した者は、'''「東京直行」'''の札を付けられて[[罰ゲーム]]が課されるが、自分一人の力で戻らないといけないので、東京に戻れるかどうかは一切不明である。
因ちなみにニューヨークの店に到着しても、買えるものは、満潮になると沈む島だったり、自動車の組み立てキットだったりと微妙なものばかりである。<ref>極稀にかつては「家族3人でニューヨーク旅行」と言いった、まともな商品が置かれも扱っていたりするが。しかし「人生、本当に極稀ユーモア」という商店街の意向である、微妙な商品へと方針転換した。</ref>
この商店街は常に[[防犯カメラ]]で監視されており、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列でによって、[[佐賀県]]と[[沖縄県]]を除く日本全国に画像が出回る。そのでため、例たとえニューヨークに辿たどり着けなかったとしても有名人になれる。
又また、[[エクストリームスポーツ]]の競技としては、国内開催であるにも関わらず、[[トライクタスロン]]に次ぐ参加規模を有しており、'''「超人はトライクタスロン、一般人はアメ横」'''とも言われている。但ただし、行方不明者を多数出してはいるものの、エクストリームスポーツとしては珍しく死者を出していない。これについては、'''「生き地獄」'''という裏コンセプトが有あるのではと言いう噂が立っているが、明確な理由は不明である。[[エクストリーム・オリンピック]]の際には「大感謝キャンペーン」と銘打ち、罰ゲームの多発・過激化が実施される。
しかしながら、非常に危険な商店街である事ことに変わりは無ない。その為ため、入場資格は18歳以上、18歳でも[[高校生]]は不可と定められている。もし高校生が忍んでいた場合には、店主が機嫌を損ねて、'''「[[全国高等学校クイズ選手権]]にでも行けや!!」'''と怒鳴り散らしてしまう。良い子はマネをしてはいけない。
「世界一長い商店街」「世界一ハードな商店街」として、[[ギネスブック]]にも掲載された。
* [[東京ドーム (建物)|東京ドーム]] - オーロラビジョン屋。商店街への入場は狭き門である。
* [[成田市|成田]] - [[じゃんけん]]屋。
* 成田 → [[グァム]] - [[紙]]屋。店主の機嫌を損ねると、[[飛行機]]から降りた途端に金属探知ゲートの[[ブザー音]]が鳴って、強制的に機内に戻帰国させられる。
* グァム - [[泥]]屋。泥の中に胡椒が入っており、浸かってしまうと'''[[アタック]]では落ちない。無論[[トップ]]でも落ちない。'''
* [[ハワイ]] - [[飛び込み]]屋。演技を競う訳わけではない。
;以降ニューヨーク迄までは色々なルートが有あるので、迷子にならない様ように注意されたい。
* 早押し屋
* 奇襲屋 - 突然出現するゲリラ[[屋台]]。客に焦燥や不眠を誘発させる。
* 3択屋 - 洗濯屋と良よく間違えられる。
* [[マラソン]]屋 - スパルタ指導を受ける羽目になる。
* 大声屋 - 自分の恥ずかしい[[プライベート]]を叫ばされる。
* ばら撒き屋 - 店主が'''「[[ハズレ]]」'''と言いう文字を見せて、'''「これを何と読む?」'''と告げる商談が有名。
* 通せんぼ屋 - 店主が人々を通せんぼする難関。但ただし、機嫌を取る事ことで道を譲ってくれる可能性が有ある。
* [[ニューヨーク]] - パンナムビル屋上の[[露店]]。正装していないと入れない。[[ヘリコプター]]で招待される。
尚なお、店主に殴られる事を避け恐れがある為にため、指示が出る迄までは'''「敗者復活」「敗復」'''と言いった言葉を無闇むやみに使わない方が良よい。
== 日本テレビ系列での画像流出された分の展望 ==
1978年から1992年まで、日本テレビ系列にて毎年夏 - 秋頃に、年1回のペースで画像を流出させた。テレビを通じて商店街の画像を流す事ことで、商店街自体の存在が広く知れ渡り、参加者が急増するきっかけとなった。
*1回目…球場の隅でひっそりと開店。又、殆ほとんど早押し屋ばかりが軒を連ねた。
*3回目…ばら撒き屋が新規開店。
*4回目…通せんぼ屋が新規開店。因みに通せんぼ屋を訪れた、この時の客は全員女性であだった。
*5回目…初めてアメリカ以外の国にも商店街を展開。
*6回目…店主が病気になったり、売上金が強盗に奪われたりしたため、「呪われた商店街」として話題に。
*特別編…年末感謝セールとして、日本各地へ出張営業を敢行。その後[[高尾山]]で集団修行を行うも、逃亡者多数。
*7回目…通せんぼ屋がビンゴ大会を同時に開催。
*8回目…大声屋とマラソン屋が新規開店。
*9回目…[[ジャック・シラク]](当時・パリ市長)の圧力で、[[パリ]]まで商店街を延伸した。
*10回目…この回時だけ、成田がのじゃんけん屋ではなくが[[腕相撲]]屋となったに業態転換。南アメリカ経由と北アメリカ経由の2種類に分岐する、新たな商店街モデルを確立した。
*11回目…通せんぼ屋が太っ腹だった事によりことで、初めてニューヨークの終着地点に初めて3人が辿り着くも来店した。
*12回目…南北アメリカ大陸全土に商店街を拡張。アラスカ鉄道沿線周辺で行方不明者続出。
*13回目…オーストラリア方面に延伸。通せんぼ屋が、長時間居座る客に疲れて寝てしまう事態が発生。
*14回目…泥屋が台風で崩壊寸前になるも、意地で営業を続けた。
*15回目…店主が若旦那へ交代。「敗復」と叫んで半殺しにされる客が続出。
*16回目…アメリカ国内に縮小。泥屋が前日の台風で完全に吹き飛ばされた為ため、跡地を早押し屋が開店占拠した。
1993年、当時の日本テレビ会長が「ボクの趣味じゃない」と述べた事ことから、画像の流出が食い止められてしまった。その後1998年に、{{検閲により削除}}を駆使して再流出を試みたが、じゃんけん屋が少ししか開店しなかったり、紙屋が用紙を忘れたり、通せんぼ屋がニューヨークに移転したり、泥んこ屋が西インド諸島にも開店したりするなど大波乱な画像ばかりであった為ため、その後は流出の継続を断念したている。
== 脚注 ==
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