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柳田稔

広島の恥:柳田稔(やなぎだ みのる、1954年11月6日-)は、日本政治家である。

目次

略歴編集

東京大学を卒業したあと、民社党から衆議院議員選挙に立候補し、当選する。その後細川護熙内閣で厚生大臣を務める。しかし細川内閣はあっさり潰れ、其の次の羽田内閣もすぐに退陣。その後新進党のメンバーになるも、次の選挙で細川の前に総理大臣だった人という強敵相手に落選してしまう。このころの柳田は、アンサイクロペディアのネタにもならない程度の普通の政治家だった。

その後活躍の場を参議院に移し、いつの間にか民主党に入党することとなる。のんびりと野党ライフを満喫していた柳田だったが、ある日突然党が与党となり、さらに、ある日突然菅直人に呼び出しを受けることになる。

柳田は法律を知らなかった。前の法相悲惨な目に遭ったことも知っていた。彼は断ろうとした。しかし、首相は彼にある言葉を授けた。その言葉は柳田の心を動かすのには十分だった。そうして彼は仕方なく法務大臣になったのであった。

引き受けるのが潔ければ引き下がるのも潔いもので、その辞表は管首相に声をかけられてからわずか20分後に完成していた。

座右の銘編集

彼は慣れない法務大臣という責務を必死に全うしようとした[1]。勉強会や講演会には数多く参加し、官僚改革を進めていて完了の協力を得られない中、自力で答弁することができるように多くの努力をした。しかし国会での答弁はなかなかうまくいくものではない。そんな時助けてくれたのがあの言葉であった。それから彼はその二つの言葉を座右の銘にするようになった。「この言葉は素晴らしい言葉だ、もっと広めよう」と彼が思ったのも不思議ではない。

法務大臣は法と証拠に基づいて適切にやっています
これは法務大臣としての職務の基本である。法務大臣が法や証拠に乗っ取らないような行動をするのは当然あってはならないことであり、適切な行動や言動は大臣として常に意識しなければならない。
個別の案件については答えを差し控えたい
これも法務大臣が常に意識しなければならないことである。組織として秘密は絶対に守らなければならないものであるし、法を執行する立場にある大臣ならなおさらである。個別の案件に関しては多くが秘密にすべき内容であることも多く、また個別の案件をすべて把握するというのはとても人間業では不可能なので、答えを差し控えるという行動は適切であるといえよう。


辞任について編集

 
2つじゃない、4つあるんだよ(鳩山邦夫元法相)

彼は2010年11月14日広島市での国政報告会で座右の銘としてきたこの言葉をついに公開した。しかし彼の座右の銘には国会で最も重要とされる「大変遺憾に思っております」が含まれなかったため、野党から国会軽視にあたると厳しく批判された。 柳田氏は法務大臣の職務にさらに真摯に取り組むことで自らの失態を克服し、信頼を回復しようと考えていたが、野党が追撃の手を緩めなかった上マスコミが面白半分に民意を操作した結果、管政権の友愛第一号にならざるをえない情勢となり、同年11月22日付で辞任した。

法務大臣として全力で職務に取り組んでいた人物であったが、大変残念なことである。

脚注編集

  1. ^ 彼は「20年近くも法務関係に触れていな」かったので、なかなかうまくいかなかったのも納得できる。

関連項目編集

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