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松方正義

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松方 正義まつかた じゃすてぃす天保6年2月25日1835年3月23日) - 大正13年(1924年7月2日)は日本政治家、スケベジジイ。薩摩藩出身。現在、日本で多く導入されている会計年度「4月 - 3月制」は、もともと松方が1884年に大蔵省で採用したものである。

松方正義

目次

色気違い編集

松方は名前が「正義」にもかかわらず、色気違いで名を馳せていた。明治の元勲などというのは多かれ少なかれ大抵芸者遊びなどをしていたのだが、その中でも伊藤博文西園寺公望と松方は色好みで知られ、彼ら三人を総称して三大スケベ元老という。この三人は仲が良く下ネタ話でよく意気投合していた。伊藤は長州、松方は薩摩、西園寺は公家と、それぞれ出自が違うのだが、スケベの友情はそんなものはたやすく越えてしまったようである。ただ、松方は伊藤や西園寺とは違って子供を多く作り、明治天皇から子供の数を聞かれたときに即答できなかったほどである。このことからも、やはり明治日本の中での一番の艶福家は松方であるとの評に異議はないだろう。

しかし、そんな松方なのに知名度の面では伊藤や西園寺より低く、ウィキペディアはおろかこのアンサイクロペディアにおいてさえページ作成が一番遅れる始末。しかも、伊藤の曾孫西園寺の曾孫エロゲー出演を果たしているのに対し、松方の数多くいる子孫はまだ誰一人としてエロゲーに出ていない。このことは少子化が進む昨今における日本の問題点といえるだろう。

松方財政編集

先に述べたとおり、松方は女好きであった。そのため、日本を豊かにしてセックス三昧の生活を送る余裕のある国にしなければならないと思い、自ら長く大蔵大臣を務め松方財政を展開した。当時の日本はインフレであったので紙幣整理が急務であり、松方は日本銀行を設立し、増税と財政縮小を行い、日本をあえてデフレへと誘導した(松方デフレ)。この政策には毀誉褒貶が付きまとったものの、日本の財政と金融は安定したものの、日本経済は松方デフレと呼ばれる不景気となり、窮乏化した貧困層による暴動が起きた。そのうえ松方の当初の意図に反して、どこかの芸人の失言ではないが、お金を稼がないと苦しい女性が女郎で働くケースも増えてしまった。結果として、一世紀の時を経て日本が世界に名だたるヘンタイの国として成功していることから考えると、松方の政策は正しかったと言わざるを得ない。

「働きマン」編集

松方は明治政府の中でも良く働き、「働きマン」として有名だった。総理大臣を退任した後も元老として活躍し、89歳で亡くなるまで生涯現役の元老で、文字通り政界のドンであった。もちろん一番働いていたのはナニである。よく、子孫の一人である松方弘子の通称であるように思われているが、松方弘子はもちろん女なので彼女の通称は「働きマンコ」である。あくまで「働きマン」とは松方正義の通称である。

関連項目編集