日本国有鉄道
日本国有鉄道(にほんこくゆうてつどう、国鉄、JNR、酷鉄)とは、日本が支配していた鉄道事業者であり、自由民主党最大の厄介者であり、公社最大の失敗作であり、労働組合最大の活躍の場であり、鉄道教徒最大の聖地であった。民営化の際「国鉄は一日列車を走らせると65億円ずつ赤字が増える」と声高に叫ばれた。キングボンビー、もとい日本鉄道建設公団に取り憑かれ、1987年4月1日に潰れた。ダメなものの例えに「国鉄~」というのがあるが、まさにその通りであった。
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この事業者はトロピカル連合構成事業者じゃゴルァ!!
車内では俺様が神、貴様はただの土砂じゃゴルァ!! |
歴史編集
初期編集
かつての鉄道省はいい加減な存在で、時刻表に書いてある列車の9割は走らないほどであった。そんな中日本いじめが好きな人達の集まりが日本を支配するための国によって作られたのが日本国有鉄道である。が、実際にはアメリカ合衆国が実権を握っていた。そのため初代国鉄総裁下山定則氏がグモッチュイーーンに参加したり、暴走るんですが三鷹駅で暴走したり、東北本線でエクストリーム・往来妨害が開催されたり、エクストリーム・タイタニックや鉄道事故に参加したりと、荒れていた。また噂によればアメリカ兵は列車の乗客をけちょんけちょんにしたり、女性と犯したりと、まさにヤリたい放題であった。
黄金期編集
そんな国鉄も日本が独立をし(実際はいまだアメリカ合衆国の支配に置かれている、特に沖縄)、ようやく自由を勝ち取ったかに思ったが、すぐに政治家の支配に置かれた。そしてどうしようもないローカル線を作ったり、蛇を鉄道車両に改造したり、電車を必要以上に作ったり、新幹線を建設したり、カラ出張、事故を黒歴史にするような映画の企画、国鉄総裁の検閲により削除など、いろんなことをやりまくった。が、同時に日本の技術が花開いたり、鉄道車両の名車が登場したりと、まさに黄金期であった。がこれらの出費が原因で、国鉄は破滅の道を辿っていくのであった。
破滅期編集
飛行機や自動車が国鉄に対しいじめを行ったが、マゾヒズムの象徴である国鉄はローカル線を増やし、もっといじめられるように努力した。一方都会のほうでは通勤の混雑緩和に失敗したり、ありとあらゆる手段を使って冷房費を節約したり、戦前製の電車を使い続けたり(このなかでは2003年まで使われるものもあった。)と、とにかく節約しようとするため、その態度を嫌った人達は国鉄を離れていくのであった。
末期編集
このころになると赤字が進み、「何をやってもムダ」と言われた。日々の乱れた生活を立て直そうと、規則をきっちりと守って評価してもらい給料を上げようとする順法闘争が行われたが、自分たちだけ給料を上げようとする試みは安月給な通勤客の怒りを買い、上尾事件や国電同時多発ゲリラ事件等の暴動を引き起こした。 なお、この事件から「他人の迷惑を考えないことは駄目よ」というのが一般認識となり、労働者の凋落が始まった。
断末期編集
このころになると国鉄は黒字化の名のもとに運賃を値上げしたり湧釧線や宮津線といった聖地や収入源であった勝田線を廃止にしたり運賃を値上げしたりローカル線を廃止したり運賃を値上げしたり国労を解体しようと目論んだり運賃を値上げしたりした国鉄は利用客からも政治家からも見捨てられ、唯一の味方が鉄道教徒のみとなる有様であった。そんな中こんな問題に面倒臭くなった自滅党は国鉄を切り捨てることにし、実行した。それに基づき、国鉄職員のイデ・マツダ・カサイの3人のおっさんたちが先頭に立ち、国鉄を内部から破壊していった。これによって生まれたのがJRグループである。国鉄の最後の日は1987年3月31日、その日日本全国の駅には国鉄がなくなる喜びで埋め尽くされた。ちなみに最後の国鉄総裁は、後に全日空でも一大旋風を巻き起こした。
その後編集
国鉄は日本国有鉄道清算事業団に改名したが、商売を知らない職員達はバブルの一番売れる時期に土地を売らず、その責任を取る形で解散させられ、国鉄清算事業本部となった。そして今でもひっそりと続いてるらしい。姿かたちは変えられても、国鉄は今も生きているかもしれない。
つまり編集
国鉄は政治家に振り回された一生であった。「我田引鉄」の象徴といえる。似たような会社に日本航空が、組織としては成田空港が挙げられる。つまり、最後には「死の病」に掛かるのである。
特徴編集
経営についての特徴編集
- 超大赤字。
- お役所的。
- 国鉄総裁という仕事はあったが、実際には政治家が実権を握っている。わかりやすく言えば「雇われ社長」。
- とてもお客様への対応とは思えないことをよくする。混雑期に駅のホームに並んでる客をグリーン席のデッキに誘導した挙句「立ち席でもグリーン席料金を払え。ルールだからいやなら降りろ。」と有無を言わさずぼったくる、など枚挙に暇がない。それはどの鉄道会社の特別席でも同様の習慣が付いたので、誰も気にしない。理解出来ないのはガキやDQN位だろう。
- 国鉄総裁の命令は絶対ではあるが、その総裁はお上に言いなり。たまに国民も言いなりの病に掛かり、選挙を操作している。
車両についての特徴編集
- どの車両も大体同じ色・同じ顔をしている。だから個性も糞も無い。まさに日本の全体主義そのままである。なおこれは現在でもJR西に受け継がれている。
- なるべく昔の車両を使おうと頑張るためいかにもボロ臭い。
- 新型車両を導入しようものなら、現場の労働者から「保守すんのメンドクセ」・「効率化が俺たちの仕事を奪う」と猛反発を食らったため、彼らに配慮して古い技術で効率の悪い車両を造り続けていた。
- ゆえに、旧型車両の番台区分(マイナーチェンジ)ということで労働者をごまかして、見た目や性能が違う新車を強引に導入することがあった(ED76形500番台・EF64形1000番台・415系1500番台など)。
- どんなに新型車両が必要なところでも旧型のものを改造して使用するため、キマってない。特に寝台特急電車を近郊型電車へ魔改造した話は伝説的。
- ごくたまに新型車両が走ることもあるが、それですら旧型の部品を使いまわすことが良くあった。身延線の62系とか見た目はどう見ても新型なのに音は明らかに釣掛だったり。
- 東京の車両の冷房化に必死なせいで関西の冷房化を見捨てたら、逆に関西私鉄王国に負け、客から見捨てられた。それはヤバいと思って、新快速専用の新車を導入したりと、ちょっとだけ本気を出したこともある。
- 名古屋を放置したら、名鉄と元利用客にいじめられてしまった。ヤバいと思って新車を作ったら、少しはよくなった。
- たまに意欲的な新車を造るが、造るのに金がかかったため、中途半端な数しかいない。
- 国鉄末期に作られた185系特急電車は急行・普通電車用で設計したものに「特急」という看板かけただけの代物で、はっきりいって「詐欺」だ。それに高い運賃・料金も相まって、東京から湘南・伊豆方面への行楽客をことごとく小田急に逃がしてしまい、国鉄離れを加速させただけに終わった。
- 最末期になって開発された車両には、製造・保守コスト面も考えた新技術がふんだんに導入され、質および性能が大幅に向上した。が、それは幹線の話。地方ローカル線向けの新型車両には、部品に廃材を再利用、バス部品の流用、旧式の技術の使用するなどの手抜きを普通に行っていた。
その他の特徴編集
- 痴漢の名所である。役所的にほうっておいたら女性を敵に回し、やむなく女性専用車を設置したら、すぐに男性を敵に回し廃止となった。その後も女性達は専用車の復活を目指したが、混雑すると言う理由で廃止された。なお平成の時代になって各地で専用車の設定がなされたが、実際の利用率から言えば当時の人々の
まともさ先見の無さが窺い知れよう。 - 強力な労働組合と、過激派の活動家が多数居たお陰で、真冬でも太陽がギラギラ輝く灼熱のトロピカル環境の下、パンチパーマやロン毛・坊主・茶髪・ピアスにチンピラルック・アロハシャツ・開襟シャツ・セーター・Tシャツに上着を着て、サングラス・マスク・ネックウォーマー・金のネックレス・金の腕時計・金のブレスレット・サンダル・下駄を装備して、ラジオやカセットを聞きつつ、喫煙・飲酒運転をしながら国鉄の看板商品たる特急列車に乗務して事故を起こしたり、ホームの立ち番はスポーツ新聞を片手に放送をしたり、車掌は堂々と車掌室で居眠りしたり、キセルした客にゴルァしたり、改札の駅員は、ハサミを入れ損なった客にゴルァ!!していたり、窓口の駅員はタバコを吸いながら、タメ口で客に応対していた。国鉄の施設内においては、他のトロピカル連合構成事業者で言う「土砂」もDQNも池沼もすべて最下等の「貨物」・「チッキ」・「コンテナ」扱いで、職員はネ申となり、乗客は職員の指示に従う義務がある。また、気に入らない上司や同僚には集団で「ゴルァ~!!」したり、土砂のクレームも「ゴルァ~!!」と言って無理やり黙らせた。中には客を「ゴミ」程度にしか見ていない職員や、勤務中に組合活動をしたり、ヤミ専従やカラ出張・無断欠勤や事故隠しなどを行う職員も多数居た。それが政治家や土砂の逆鱗に触れ、あぼーんされる事となり、多数の御殿と共にトロピカル連合に殿堂入りする事となった。
- また、国鉄の高度なトロピカル技術はJR各社に受け継がれ、更に磨きをかけられたり、逆にケチ王化してしまった所まで、色々である。
- 金がないと言いながら、CMには大物俳優やお笑い芸人を起用していた。特に民営化直前のJR東日本のCMは、毎日Xデーに近づくごとに内容を変えたうえに、カウントダウンまで行うという、無駄に金がかかった仕様であった。
労働組合編集
国鉄は世界でも有数の労働組合の名産地であった。どんなものがあったかと言うと
國鐵ご自慢のラッピング車両
国鉄労働組合(国労)編集
国鉄を崩壊させた張本人であり社会党と共産党の手先。 現在は、社民党と共産党の手先。 彼らの功績は
等で、最終的には自滅党を敵に回して自滅。その後日勤教育を受け壊滅。
国鉄動力車労働組合(動労)編集
喧嘩ぐらいしかやったことは何も無し。その後分裂した。 だが、彼らの尽力により、機関区は灼熱のトロピカル環境をもたらしてくれたのも事実である。 後に当局側に尻尾を振ったのでJR化後も生き残った。
国鉄千葉動力車労働組合編集
通称動労千葉。動労の古い体質を継承した。千葉駅・蘇我駅以東・成田駅以南を支配しその区間は実質千葉動労鉄道と呼ばれる。 JR東日本が誕生し、21世紀の今においてもストや成田闘争を続けるおめでたい連中。 労働組合全体が力を失っているのも気付かずに… ここの組合が勢力を持っている御殿は、普通の御殿以上にトロピカルな環境であり、パンチパーマ・チンピラルック・グラサンのウテシが沢山居て、クレーム漬けてくる土砂に「ゴルァ~!!」を浴びせて強引に黙らせていた。 そんな訳で、経営側は逆ギレして「ご利用の改悪にご協力下さい」と言う刑を処している。首都圏版「國鐵廣島」並と言える。
鉄道労働組合(鉄労)編集
国労や動労などと対立した組合。御用組合の象徴として攻撃された。
その他全施労、全動労など少数。
ラッピング車両編集
国鉄ストライキの時に車両の側面や前面などに『不当弾圧粉砕』や『鉄労粉砕』などとスプレーで書かれた。 このようなラッピング車両は乗客からも評判が良く、上尾事件では乗客が投石をしてガラスを割り、より奇抜なデザインにする事もあった。
ラッピング車両の伝統はJRでも…編集
国鉄時代、車両には色々な文字を書いたラッピングをしていた。その中でも電気機関車の側面に文字を書いた物は乗客だけではなく国鉄社員の中でも人気が高かった。そのため分離民営化後も電気機関車の側面に文字を書くデザインは受け継がれた。 EF65レインボーがその一つである。側面にEF65と斜めに描かれている。文字に白を用いている事から、国鉄からのラッピング伝統を感じる事ができる
関連項目編集
関連組織編集
関連人物編集
この「日本国有鉄道」は、混雑がひどく、両数を増やす案が出ています。両数を増やして下さる協力者を求めています。 (Portal:スタブ) |