平野啓一郎
これより私は、或る作家の記事を録そうと思っている。その作家とは即ち、平野啓一郎である。人はこの頗る異常な記事に対して、径ちに疑を挿むであろう。私はこれを咎めない。如何に好意的に読んでみたとて、この記事は所詮、真を置く能わざる類のものだからである。
作風編集
平野啓一郎の作品は、時期ごとに作風が大きく異なっている。
ロマン主義三部作編集
平野は、京都大学在学中の1998年に『新潮』誌上に発表した『日蝕』で、翌1999年に芥川賞を当時最年少の23歳で受賞した。同年には『一月物語』を発表、2002年には『葬送』を刊行した。以上の3作品は「ロマン主義三部作」と呼ばれている。
この時の平野の美しさは、誰にも言葉にすることが出来なかった。どれほど多くの小説家がいることかしれない。どれほど卓越した技巧を誇り、読者を虜にする華を備えた小説家がいることかしれない。しかし、彼らがいかに憧れ、いかに努力してみても、決して模して及ばぬものが平野にはあった。平野にだけとさえいえるほどに、それは彼に於いて特別であった。その美質は、記述される言葉の一語々々から馥郁と立ち昇って読書中のすべての人間を恍惚とさせた。胸を締めつけるような憂鬱も、寂寥も、悲哀も、どの一つを取ってみてもそうした薫りを帯びていないものはなかった。即ち気品であった。平野の場合、それは特権であるというよりも、寧ろ一つの才能であった。そのことをこれほど人々に実感させる小説はなかった。何という香気。何という陰翳!形姿を象る内からの鋳型。外観に結晶した内実。様式に高められた漠たる情感。……読者の感動は、染み入るようにして彼らの深奥へと達した。
短篇・実験期編集
その後の平野は、普通の作風じゃがまんできないものがあるかのように、実験的な作品を多く発表するようになった。
1行だけが書かれた『鏡』やコピペを活用した『滴り落ちる時計たちの波紋』『閉じ込められた少年』『女の部屋』『母と子』のように省エネに務めた作品や、男女がホテルではえっちなことをしたあとノーパンで帰宅することになる顛末を描いた『高瀬川』、エロ本隠しに失敗して「小説の資料を集め」との言い訳のため執筆された『顔のない裸体たち』のように変態性をいかんなく発揮した作品などが書かれた。
分人主義編集
その後の平野は、「分人」という概念を提唱し、それまでの平野のイメージを一新させるような小説を次々と発表した。
「平野の体はひとつしかないし、それは分けようがないけど、実際には、接する作品次第で、僕たちには色んな平野がいる。その現象を、個人individualが、分人化dividualizeされているって言うんだ。で、それぞれの平野が分人dividual。平野は、だから、分人の集合なんだよ。」
ルネ・マグリットの絵で、姿見を見ている男に対して、鏡の中の彼も、背中を向けて同じ鏡の奥を見ているという《複製禁止》なる作品がある。平野の作品には、それと似たところがある。そして、読者は恐らく、その作品を執筆する平野の背中にこそ、平野作品の主題を見るだろう。
外部リンク編集
- 平野啓一郎公式サイト
- 平野啓一郎 (@hiranok) - Twitter
- 平野啓一郎公式ブログ - 『空白を満たしなさい』の刊行を最後に、空白が満たされなくなったブログ。
関連項目編集
平野啓一郎は、未だ心中に蔵匿せられたること多にして、中途で筆を擱かれたるものである。私はこのことに、若干の忸怩たる思いを抱かざるを得ない。冀、我が儕輩の手によりこの記事が完成せられむことを。 (Portal:スタブ) |