足利王朝

「こんな国、さっさと滅ぶがいい。クソ野郎が治める国家などは俺の世の中にはいらぬ!!」
足川王朝 について、織田信長
足利王朝
Ashikaga Dynasty
足利幕府
Ashikaga Shogunate
国の標語 : 京都を奪還しよう♪
室町幕府の位置
公用語 新庄語(第一公用語)、貴族語日本語英語ベルニコス語
首都 ムローマチ
最大の都市 ヤマシロノプール
首都機能分割都市 不明
指導者 不明
征夷大将軍 ヨシアキィントゥス・アシカガンヌス
管領 フジタカーノ・ホソ・カワン
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第xx位
xxx,xxx平方km
不明
人口
 - 総計(xxxx年
 - 人口密度
世界第xx位
xxx,xxx人
世界第xx
x人/平方km
政府 君主制
国民的な英雄 不明
建国
独立
 - 宣言
1336年
オドゥ保護国より
1582年8月19日
通貨 永楽通宝 (EIR)
時間帯 UTC +4:30 (DST: なし)
国歌 ムローマチよ、永遠にあれ
宗教 不明
国際電話番号 04

足利王朝(あしかがおうちょう)とは、足利氏が治める王朝である。王宮所在地から室町幕府(むろまちばくふ)ともいう。

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概要編集

征夷大将軍を中心とした立憲君主制の軍事国家。年々中央アジアに拠点を移して勢力を拡大している。

国歴編集

王朝の創立年である西暦1336年を「足利」元年とする。

政治機関編集

幕府体制編集

将軍の政治補佐機関。以下の庁から構成される。

財務庁
国家の財政管理を担当。
法務庁
法律の維持と国民の裁判を担当。
文部庁
国民の教育を担当。
外務庁
外交と殖民地の統括を担当。
内務庁
国民の統括を担当。
労働庁
国民の労働管理を担当。
環境庁
国土の開発と環境破壊を担当。
医療庁
国民の医療と邪魔者の検閲により削除を担当。

軍事編集

第三代将軍義満にならって将軍直轄軍を編成。これによって全ての軍隊はすべて将軍が握ることとなった。国防軍は徴兵制で、地上兵力1021万人111軍団1641個師団の軍事力を誇る。ちなみに兵器も最新で、竹槍、張り子の虎、そして棍棒、木刀がある。しかしとても古いミグ34飛行機に 破壊された事があった。

レギオー編集

ムローマチ軍は将軍により統率されている。大まかに分けて軍は二つに分類される。そのうちの1つはレギオーである。レギオーとはいわばジパンニアにおける本軍であり、有事の際、侵攻の際に主力軍として各地に派遣されることとなる部隊のことである。周知ではあるが、我らがムローマチ帝国は広大であるがゆえ、レギオーは各地の諸都市に分駐している。以下がその配置である。

ムローマチ帝国軍の配置
軍団名\拠点 拠点 兵力 主な戦績
第1軍団セッツィア コウベリウム 騎兵:4,000
歩兵:8,000
オドゥの侵攻
第2軍団ヤマトニア ナラントゥス 騎兵:2,000
歩兵:7,000
僧兵:5,000
ナラントゥスの反乱
第3軍団フクイティタン エチゼニウム 騎兵3,500
歩兵:2,000
ヨシカゲニウスの反乱
第4軍団アワディニア スモティウム 歩兵:3,500
歩兵:2,000
軍艦:500
モト・チカーノ征伐
第5軍団オウミニウム サワラントゥス 騎兵2,000
歩兵:4,000

セキ・フィールドの戦い

外交編集

当然ながらオドゥとは敵対しており両国とも国交を断絶している。領土が隣接していないため戦争にはならないが、未だに一触即発の状態である。数少ない同盟国の中にひよこ大王国ナチス・ドイツのび太国ワンミン王国がある。

数々の戦史編集

初代皇帝:タカウジリヌス・アシカガンヌス帝

3代皇帝:ヨシミッツァーノ・アシカガンヌス帝

歴史編集

ここでは、足利王朝が誕生してから現代までの長き歴史を説明する。

成立編集

カマクラ大王国滅亡後、ヤマシロ帝国コウミョーン帝の下、タカウジリヌス・アシカガンヌスは京都に帝国を開くが、敗れたダイゴリャン2世ヨシノン・ナラントゥスナラントゥス王国を開き、南北に王朝が両立する大戦を引き起こす。タカウジリヌスの策略にてナラントゥス王国は左右され、2代皇帝ヨシ・アキラントゥス・アシカガンヌスの時に南北王朝の和解をやろうとしたが、失敗し、更に帝国内部の権力抗争により帝国の重臣が反抗するなど、何一つ出来ずにヨシ・アキラントゥスはこの世を去る。

王朝の確立編集

ヨリ・アキラントゥス帝亡き後ヨシミッツァーノ・アシカガンヌスが3代皇帝となり、執政ヨリユキントゥス・ホソ・カワンの補佐の下で帝国運営を行った。成長したヨシミッツァーノ帝は帝国体制の確立の為行動を開始する。最初にホウコウニアンと呼ばれる皇帝直属の軍隊を整え、有力な属州総督のオオウチニウス家などを挑発してオーウチ戦争で倒す。将軍権力を固めた後、栄光なる統一を行い、長きに渡った皇位継承争いを終わらせることに成功した。その後出家した義満は一休とのとんち勝負を繰り広げるようになり、最後の激闘の末に生涯を終える。その後をヨシモッティーニ・アシカガンヌスが継ぎ、ヨシ・モッティーニ帝は息子のヨシ・カーズン帝と共に幕府を世界帝国にしようと試行錯誤したが、失敗する。その後くじ引きでヨシノリャン・アシカガンヌスが6代皇帝に就任し、父ヨシミッツァーノ帝以上の独裁体制を構築しようと目論むが、志し半ばにて暗殺される。

王朝の弱体化編集

ヨシノリャン帝亡き後、ヨシカッティーニ帝が継ぎ、次いでヨシマサントゥス・アシカガンヌスが8代皇帝となったが、内乱の1世紀が勃発し帝国の体制が崩壊してしまう。ヨシナオン帝が9代皇帝に就任し、帝国の再興を夢見るが若くして死亡。その後3代の皇帝を経て、13代皇帝ヨシ・テリャーノ・アシカガンヌスが皇帝の座に就任した。彼は武術に秀で、剣道を推奨させ皇帝権威を復活させるが、暗殺され再び弱体する。その弟・ヨシアキィントゥス・アシカガンヌスオドゥの支援を受けて上洛して、当時ヤマシロノプールを占領し権力を握っていた前ナラントゥス属州総督ヒサヒディニウス・マツナギャン一味を降伏させて15代皇帝に就任する。だが、やがて「天下布武」を唱えて覇を唱えるオドゥと皇帝中心の復活を目指すヨシアキィントゥス帝は敵対し、戦いとなり、1573年にオドゥの圧勝で終わり、ヨシアキィントゥス帝はヤマシロノプールから追放される。

足利王朝の復活編集

その後西域に逃れ当地の有力者モウウリ族に亡命していたヨシアキィントゥス帝は権力の味を一度味わってしまったため、諦めきれずに幕府復興と信長打倒を目指す。しかし本能寺の変で信長が倒れると日本を去り中央アジアの弱そうな国を悪知恵を使って駆逐しながら信長も手を出せない程の大帝国を形成。応仁の乱の経験を生かして大胆な中央集権制を実施。将軍に全権力を集中させ、従わない国家は次々に武力で滅ぼしていった。この件について織田信長は「日本に居る頃からそうだったら強敵となっていたな。」と大いに安堵している。その後義昭は憲法、国歴を制定し、将軍職を嫡男義尋に譲り、幕府の体制を固めてこの世を去る。

将軍職争い編集

義昭亡き後、16代将軍義尋が当主となり、弟義在が次期将軍候補になるが、義輝の遺児義高が自らの正当性を主張してエクストリーム・スポーツで決着を着ける事にしたものの、死闘の末、相討ちとなる。その後平島公方家の義栄の甥義種が、義尋から将軍職を禅譲させSATSUGAIする。こうして将軍職争いは終了する。

禅譲後編集

17代将軍義種は将軍位の継承を安定させるよう「将軍継承法」を発布する。跡を継いだ義次は学問による統治を行い、以降の将軍も平穏に統治し、世界の変化に対応していった。27代将軍進悟は度々日本に来訪し日室間の友好を高めたり、日本のテレビ番組を流すなど、日本贔屓の将軍であった。その後将軍職を継いだ義弘がEU加盟や国際連合常任理事国になる事を計画している等、幕府の国際化を行っている。

国民・文化編集

中世日本とイスラムの文化が融合したイスラム・室町文化が誕生した。茶の湯はコーランを唱えながら飲み、能の衣装はアラブ風につくられた。また、足利義昭の提案で金閣寺を超える巨大な建築物「金閣城」が建築された。高さ500mのモスクは釘の1本からすべて純金でできており、将軍の権威を全世界に知らしめた。更に平島公方家が将軍職を禅譲した後は漢籍などに長けた将軍によって学問中心の大文化を形成した。 民族構成はアラブ系20%、イラン系10%、トルコ系5%、日系人60%、クルド人などの少数民族5%で構成されている。 国民は足利将軍家に絶対の忠誠を誓わされており、歴史の授業では日本史のみ(特に室町時代をじっくりと)教えられる。一説によれば、現代日本語の基礎となった言葉「バーロー」が生まれたのもこの国だとされている。

主要な都市編集

  • サマルカンド(帝都)
  • イスタンブール(元トルコ領。)
  • ダマスカス(元シリア領。漢字では「騙貸」と表記。徳政令をも見よ)
  • アシカガバード(元トルクメニスタン領。漢字ではもちろん「足利鳥」と表記)

歴代将軍編集

将軍の代数の括弧の数字は源義国から数えた代数

それ以前の将軍編集

王朝成立前の将軍編集

足川王朝の将軍編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「足利将軍一覧」の項目を執筆しています。

織田豊臣政府以後の将軍編集

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「平島公方」の項目を執筆しています。

関連項目編集

先代
後醍醐政府
1333年-1336年
日本の歴史
足利王朝
1336年-1573年
次代
織田豊臣政府
1573年-1603年


  この項目「室町幕府」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)