酷葬
酷葬(こくそう)とは、とにかく酷い葬式である。その酷さは筆舌尽くしがたい。主に(というよりすべて)日本で行われる。
概要 編集
はじめての酷葬とされる葬儀は、高度経済成長期の1967年に開かれた。この年の10月、吉田茂元首相が死去。時の首相佐藤栄作は、すぐさま吉田茂の葬儀を国費で行うことを閣議決定した。この葬儀は、戦前の例にならい国葬(後述)と称された。お金の無駄遣いを嫌う一部の国民は「精神の自由の侵害である」と猛反発したが、その他大勢にはすんなりと受け入れられた。
しかし、日本国憲法でうっかり政教分離を規定してしまったため、国葬の内容も宗教色を徹底的に排除したものになり、結局、長い弔辞を聴くだけの儀式となり、国民からは、「わざわざ外国から来ていただいたのに、こんな国葬では申し訳ない」、「こんな国葬、やらないほうがよかった」などと非難の声が上がった。以降、日本政府は国葬を封印。国民葬や内閣・自民党合同葬など、国費を投入したそれっぽい葬式のみを開催するようになった(これらも広義の酷葬に属する)。そして国葬はいつしか、「酷い葬式」を意味する酷葬という名前で呼ばれるようになる。
酷葬に転機が訪れたのは2022年、奈良県で遊説中の安倍晋三元首相が暗殺されたのだ。当時の岸田文雄首相は、故人の功績を鑑み、国葬の封印を解くことを決断。記者会見で自ら公表した。50年前の酷葬が多くの国民の頭をよぎったほか、案の定一部の国民が「酷葬反対」を掲げて運動を展開した。その上、折悪くイギリスのエリザベス女王が崩御。国葬が開かれ、国家元首級の人物が多く参列し、酷葬の目玉と目されていた弔問外交がお先に繰り広げられてしい、国内世論と実施意義が喪失、案の定酷葬の失敗は確実になった、と思われた。しかし、首相その他三権の長の弔辞がつまらないのは予測できたが、友人代表として登壇した菅義偉の弔辞があまりにも感動的だったほか、その他の演出も悪くなかったためこの酷葬が失敗だったかは議論の対象である。
酷葬とされるための条件編集
酷葬とよばれるための条件は非常に厳格であり、JIS(日本工業規格)にも規定が存在する。以下は、日本最大の酷葬実施団体である一般財団法人日本酷葬協会のホームページに掲載された情報による。
- 費用は全額国費で賄われる。
- 対象者の明確な基準がない。
在任期間がただ長いだけの国家に大きな功績のあった政治家に対して行われる。- 宗教色ゼロ。
酷葬の式次第 編集
酷葬は、次のようなタイムテーブルにのっとって行われる。
- 早々にマスゴミと警察のもみ合いが発生。
- 対象者の遺骨が会場に運ばれる。その時の内閣総理大臣が出迎え。この間、自衛隊による21発の
祝砲弔砲が発射される。 - 遺骨が入場。参列者が総立ちで迎える。絶対に拍手をしてはいけない。
- 遺骨が喪主→首相→自衛隊員によるバケツリレーで祭壇にセットされる。
- 司会(内閣官房長官)による開式の言葉で開始。
- 一分間の黙禱。この間、自衛隊音楽隊による「国の鎮め」が吹奏される。
- 内閣総理大臣ほか、エライヒトによる弔辞。この間にうっかり寝てしまうと、死者に対する冒涜とみなされ、弔砲として射殺される。
- 皇族やエライヒトによる献花。
- 参列者の献花。
- 司会による閉式の言葉で閉会。
- 遺骨が自衛隊員→首相→喪主によるバケツリレーで祭壇から撤下、退場する。
- 「用のない人は早く出て行ってください」と参列者の追い出しが始まる(ない場合もある)。
国葬 編集
酷葬と類似した葬儀形式に国葬がある。アメリカやイギリスなど、多くの国で行われる。戦前の日本でも「国葬令」という勅令に基づいて国葬が行われていた。
酷葬との類似点 編集
- 費用が全額国費で賄われる。
- 一部の国民から、批判の声が上がる。
酷葬との相違点編集
- 対象者に対して明確な基準があるか、開催に際して
ヤジの飛び交う煽り場議会の同意が必要。 - 必ずしも政治家だけが対象ではない。
- 宗教色をふんだんに配合した葬式である。
戦後の日本で民間人を対象にした国葬が実施された例はない(なぜならすべて酷葬だから)。ただし、1989年に国費を投入して行われたメガネの大喪の礼は、皇室行事としての葬儀である大喪儀とは分けて実施し、宗教色を排した行事とされたものの、2つの儀式が連続して行われたうえに国民からの反対もほとんどなかったため、一般的には酷葬ではなく国葬とみなされる。
酷葬とされた人物編集
国葬とされた人物 編集
関連項目編集
流行記事大賞 銅賞受賞記事
この記事は2022年流行記事大賞にて銅賞を受賞しました。 |