メインメニューを開く

Uncyclopedia β

トラ・トラ・トラ!

映画『トラ・トラ・トラ!』の1シーン

トラ・トラ・トラ!Tora!Tora!Tora!)は、1970年に日本人映画監督黒澤明によって行われたアメリカ真珠湾の奇襲攻撃と、その記録映画である。

目次

制作までの経緯編集

ノルマンディー上陸作戦を描いた大作『史上最大の作戦』が成功したことに気をよくした20世紀フォックスは、太平洋戦争の戦端を切った日本による真珠湾攻撃の映画化を企画した。日米双方の視点から真珠湾攻撃を描くことを主眼として、日米の両監督が置かれた。アメリカ側の監督はリチャード・フライシャー、日本側は黒澤明が担当することになった。

黒澤明と『トラ・トラ・トラ!』編集

「黒澤天皇」とも呼ばれる黒澤明は完璧主義者である。そのため特撮による模擬撮影を嫌い、できるだけ本物に近い兵器を使用して撮影することにこだわった。

まず、航空機であるが、零戦を設計した技師を呼び寄せて、本物の零戦を製作させた。プロデューサーは「10機でいい」と言っていたが、それでは雰囲気が出ないため、零戦、99艦爆、97艦攻を、実際に戦闘で使われた数である300機を製作することにした。また、零戦を操縦するパイロットも一から育成させることにした。指導は名パイロットの坂井三郎が行い、厳しい訓練の末、全パイロットが急降下爆撃、超低空雷撃、空戦を実施できるまでに成長した。さらに実戦で使用した沈降魚雷も用意された。

そして、「赤城」を始めとして空母六隻を建造した。これらの空母は飛行機の離発着は勿論、実物と同じ速度で移動できた。ここに、空母六隻と零戦300機の大艦隊が出現することになった。

真珠湾攻撃編集

「黒澤さん、これじゃまるで戦争じゃないですか」と助監督の一人が言うと、黒澤は「映画はね、戦場なんだよ」と答えた。黒澤は本当に真珠湾を攻撃し、それを撮影しようと企んでいたのである。

映画のクライマックスシーン撮影を控え、黒澤は秘密裏に艦隊を択捉島の単冠湾に集結。無線封鎖をして行方を眩ませた。撮影所では黒澤と俳優(軍人役)と空母六隻と艦載機が消えたことで騒然となった。家族たちが行方を探したが分からず終いで、死亡説まで流れる始末であった。まさにその最中、黒澤の艦隊は秘密裏にハワイを目指して出航していたのである。

ハワイ北部に艦隊が到着したときに黒澤がアクションを出し、撮影開始となった。同時に零戦300機が発艦した。撮影クルーも飛行機で飛び立ち撮影することになった。黒澤は大将機から無線で演出の指示を出した。その間、米海軍(本物)は黒澤の撮影隊を捕捉することができなかった。飛行機の大編隊がこちらに向かっていることに気付いたレーダー技師もいたが、「戦争映画を撮っているらしい」ということで追跡を止めた。

大編隊が真珠湾に辿り着いたとき、黒澤はキューを出し魚雷を発射させた。戦艦(本物)が紅蓮の炎をあげて燃え上がった。黒澤は急降下爆撃や機銃掃射など的確に演出指示を行い、たちまち壊滅状態に陥った米海軍は慌てて「これは訓練ではない!映画の撮影だ!繰り返す!映画の撮影だ!」と何が何やらよくわからない放送を行った。装備では30年ぶん勝るアメリカ太平洋艦隊であったが、このように対応が後手後手に回ったことで壊滅した。燃え上がる真珠湾を背に、黒澤は良い撮影ができたとご満悦であった。

編集作業編集

撮影終了後、編集作業の段階で黒澤艦隊が米空母を撃沈し、石油タンクを破壊していたことが判明した。これは実際の真珠湾攻撃を上回る戦果であったが、史実とは違う無駄なフィルムとして本編からは削除されてしまった。

監督降板編集

フォックス社社長のザナックは黒澤の大戦果が出した巨額の制作赤字に大激怒し、「黒澤は病気である」として解雇して、舛田利雄と深作欣二を新しい共同監督とした。また、アメリカ太平洋艦隊が壊滅した事実は外交問題に発展するかと思われたが、恥晒しということで当時は秘密にされた。封切りされた映画は「かつてない程リアル」として高い評価を受けている。

関連項目編集