ソビエト連邦国防人民委員1942年7月28日付命令第227号
ヨシフ・スターリン同志が
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ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
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ソビエト連邦国防人民委員1942年7月28日付命令第227号(-れんぽうこくぼうじんみんいいん1942年7がつ28にちづけめいれいだい227ごう、露:Приказ НКО СССР от 28 июля 1942 г № 227)は、同志スターリンがソビエト赤軍全軍に対し発した、第二次世界大戦の中でも特に有名かつアレな命令書である。
嘘と出鱈目に満ちたアンサイクロペディアであるが、この命令はあまりにも強烈で、本来の意味での黒歴史である。よって、ネタにせずストレートに紹介する。その方が面白いからである。funnyじゃなくてinterestの方ですよもちろん、ええ。
概要編集
三行でのまとめ:
経緯編集
1941年6月にナチス・ドイツはバルバロッサ作戦を発動して、少し前にソ連と分け合った境界線を越えて土足で踏み込む。やはりドイツが誇る電撃戦、あっという間にモスクワのご近所にまで迫ったもののその時折悪く冬将軍。豪雪や低温もさることながら、雪融けの後の泥濘までも前線の兵士や持ち込んできた戦車や車輌にはダメージ。しかしそこは伍長閣下、あくまで東方への野望を諦め切れず投降ばかりか撤退も認めない。加えてドイツ軍の指揮官には案外有能なのがいたりして、前線のある局面では勝ち進んでいたくらい。
対するソビエト、政治将校のという存在もあってややこしく徹底抗戦だと呼号してた足許では「ドイツから訳のわからん厄介者が闖入してきた」って感じで逃げ出すばかりか両手挙げて降参しようぜって兵士が続出しまくり、武装も一部はイギリス軍から密かに手に入れたので間に合わせる始末。独ソ戦始まってからハリコフ攻防戦までこういう状況で、ソ連軍がハリコフから尻尾巻いて逃げてからはお察し下さい。
それで前線の兵士は兎も角銃後の民間人はどう見ていたかというと・・・・・ドイツは第一次世界大戦でボコられて莫大な賠償負わされて、おまけにハイパーインフレや世界大恐慌が立て続けに起こってヒトラーおじさん颯爽登場。精神的にブチ切れていたドイツ国民に夢も希望もあるんだよとやったこともあり、国を挙げての熱狂状態(まぁ、プロパガンダ担当の大臣の手腕もあるのだが)。緒戦での幸先良い展開もお手伝いして、銃後の国民も戦争遂行に進んで貢献。翻ってソ連は、ウクライナ・カザフスタン・ウズベキスタン辺りになると連邦への帰属意識が然程強くないどころか「あんなのロシアと同じだべ」と思っているのがいたりして「畑から兵士が生える」と自虐的なことを言われるのが実情。畑仕事に精出していた若者はそれこそ問答無用で徴兵されて前線に、本人や家族が断ろうものなら祖国の防衛に協力しない反革命分子としてシベリア送り。そして送り込まれた戦場はただでさえ過酷な環境にあってもぞんざいな扱いをされて、明らかに敵よりも貧弱な装備で戦わざるを得ない事態に。
こりゃヤバい、何としても兵士には前線に居て貰って敵を殺してくれないとという目的で同志が出した決定的命令が、この命令第227号である。
注釈編集
原文(Wikisourceロシア語版)を出典とし、無理矢理訳出した。
≪≫内は訳注である。ただし、訳者すなわち初版執筆者はロシア語を罵倒語と革命用語とあいさつぐらいしか知らない。故に、翻訳の正確性は一切保証しない。たとえば"хлеб"という単語が何回か登場するが、直訳すれば「パン」となる。しかし、同志がパンマニアまたはパン偏執狂であったという確証が見あたらず、というか「パン」以外に「穀物、小麦」を指す言葉であるため、敢えて「食糧」と訳した。他にも気になったことはあったが、原文がツッコミどころ満載であったため、色々と妥協している。また、編集者らも違和感のない日本語っぽく意訳して修正しているため、結局のところはいつものアンサイクロペディアである。正確な情報を求めるならロシア語をマスターしたうえでシベリアの博物館にでも行って実物を読むのが一番良い。
この命令書を理解するにあたり、もう一つの注意点がある。当時のソビエト赤軍は(現在の中華人民共和国における人民解放軍のように)、あくまでソビエト共産党の私軍であった(自民党が自民党軍を持ってるようなもん、とはよく試験に出る例えである)。このため他国家の軍隊と異なり、共産党員である政治将校(政治士官)が一種の見張り役として必ず配属されていた。彼らは保身のため、インパール作戦より無茶な命令を押し付けることが多々あった。このためチェキストと呼ばれ、ナチス・ドイツ軍よりも嫌われていた。
内容編集
モスクワ発
赤軍を愛し尊敬する我らが母国の人民は、赤軍がドイツの圧制者の束縛を受けている同胞を放置して東へ逃亡したことにより幻滅し始め、信頼を失いつつあり、悪態をつきはじめている。 一部の愚かな者達は、我々が広大な領土と農地をもち、多数の人口を抱え、豊富な食料を提供できるため、東へ退却することは問題ないと主張する。このように、彼らは前線における自らの愚かで恥ずべき振る舞いを正当化しようとしている。しかし、これは真っ赤な虚であり、敵を利するだけである。 すべての指揮官、赤軍兵士および政治将校は、我々の財産が無限ではないと理解しなければならない。ソビエトの領土は無人の荒野ではない、労働者、農民、知識人、我々の父、母、妻、兄弟、子供達といった人民がいるのである。更に、敵が占領し、または占領しようとしているソビエト連邦の領土には、軍や家族のための食料及び物資、産業のための金属や燃料、軍に武器や弾薬を供給するための工場や設備、鉄道がある。既にウクライナやベラルーシ、バルト共和国≪現在のバルト三国≫、ドニエツク、およびその他の少なくない我々の領土を失ったため、少なからぬ人民、食料、金属、製品および工場も失った。すなわち、7千万の人民、年間8億ポンド≪約36万トン≫以上の食料、年間1千万トン以上の金属を失っているということだ。我々には、人的資源および食料の面において、もはやドイツに対する優位性は無い。 更に、現在でも新たに土地を失うたびに、敵を強化し、そして自らを弱体化し続けている。これ以上の後退は、ついに自分自身を破滅させると同時に、祖国を破滅させることになる。 従って、我々が無尽蔵の資源を持ち、広大な領土を有する偉大で豊かな国々であり、多くの人民を擁しているとの極めて有害な虚言を、断固退ける必要がある。このような話は間違っており、資源を横取りし、母国を浪費し、かつ我々自身を消耗させる手段であり、もし我々が退却を止めなければ、食料もなく、燃料もなく、金属もなく、原料もなく、工場も設備もなく、鉄道もなくなるだろう。 よって次の結論に達したから、これを今後の我々の主要なスローガンとし、命令する。
我々は打撃に耐え、そして敵を西に押し戻すことができるだろうか? 無論、可能である。なぜなら我々の後方には完璧に機能する、素晴らしい工場と設備があり、軍はより多くの航空機を、戦車を、大砲を、迫撃砲を得ることができるからだ。 では、そんな我々には何が欠けているだろうか? 中隊、大隊、連隊、戦車部隊、航空部隊に≪命令厳守の態度と秩序がない≫こと、これが我々の最大の欠点である。現在の状況を救い、母国を守るためには、我々の軍において厳格な秩序と鉄の規律を確立しなければならない。 指揮官及び政治将校は、部隊が許可なく持ち場を離れることを容認してはならない。指揮官及び政治将校は、臆病者が騒然とした戦闘状況において、持ち場を離れ、または他の者を連れて逃亡することを容認してはならない。臆病者と卑怯者はその場で処刑されなければならない。 これは各指揮官、赤軍兵士、政治将校にとって今後の絶対条件であり鉄則である──より高位の指揮官から命令がない限り、一歩たりとも退いてはならない。中隊、大隊、連隊および師団の各指揮官とそれに対応する政治将校が、より高位の指揮官から命令を受けずに撤退し、前線に穴を開ける行為は、母国に対する裏切りであり、処分されなければならない。なぜなら、命令≪の遂行≫は祖国にとって必要だからである。 これは祖国からの要求である。 命令を実行せよ──母国を保全し、我々の領土を守り、憎き敵を皆殺しにすることは、敵の敗北を意味する。 赤軍が圧倒した冬の戦い≪モスクワ攻防戦≫の際、ドイツ軍では規律が乱れた際、規律の回復のため、厳しい処置を押し付けたが、これはドイツ人には全く良い結果となった。彼らは臆病者または当惑した者、規律に違反し有罪とされた兵士からなる100個の懲罰中隊を編成し、彼らを前線の危険な位置に配置して闘わせ、罪を血で償わせた。同様に、臆病者または当惑した指揮官から勲章を剥奪し、およそ10個の懲罰連隊を編成してより危険な地域で戦わせた。最終的に、彼らは不安定な師団の背後に特殊部隊を配置し、命令に背き逃亡したり投降したりしようとした臆病者を射殺した。知っての通り、この措置は効果的で、冬の戦いにおいてもドイツ軍は良く戦うようになった。ドイツ軍は、祖国を守るという崇高な目的は無く、他国を征服するという卑劣な目的しかもっていないにもかかわらず、優れた規律を持っており、一方、略奪された祖国を守るという崇高な目的を持っている我々の軍隊はそのような規律を持って居らず、そのために敗北しているということが判明した 我々の祖父母が過去の戦いで敵を研究して勝利を得た時のように、我々も敵から学ぶべきではなかろうか? 私はそうすべきだと考える。
赤軍最高司令部は次の通り命令する
1. 全ての前線軍評議会と、特に前線指揮官は従わなければならない:
この命令書はすべての小隊、中隊、騎兵隊、砲兵隊、飛行隊、コマンド隊、参謀の構成員の全員が読むこと。
国防人民委員 ヨシフ・スターリン |
結果編集
〜 アヴェレル・ハリーマン元駐ソビエト米国大使
これにより、敵前逃亡する兵士を問答無用で射殺する大義名分ができた。一兵卒の立場から見ると「進むも地獄、退くも地獄」という状況である。このような抑圧された状況では日本軍のバンザイ・チャージよりも無茶な突撃を実行するしかない状況も多々発生した。少なくとも戦術と呼べないことは確かだ。
自軍の督戦隊による被害者が多すぎ、またいちいち数えていないという状況もあり、結果的には兵力をいたずらに浪費することとなった。しかし構わず次々に兵力を送り込んだ。とてもではないが戦略と呼べるものではなかった。
最終的には、徹底した力押しで勝ってしまったが。
関連項目編集
- 独ソ戦
- 2022年のロシアによるウクライナへの軍事侵攻 - 80年経っても連中のやっていることは同じである
第1回ノー削除デー作成記事 本項は記念すべき第1回ノー削除デーに作成されました。
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