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キャバクラ幕府

キャバクラ幕府とは、源頼朝が開いた風俗街の通称。鎌倉幕府によって保護された。

目次

概要編集

鬼嫁北条政子のおかげで家庭内での発言権がゼロに等しかった源頼朝が建設する。源実朝の代までは将軍家が、それ以降は北条家が管理運営した。キャバクラ幕府内に店舗を出す場合には幕府の認可が必要であり、これらの店は法人税の免除などの優遇を受けた。なお、キャバクラ幕府というのは後世の人がつけた名前であり、実際に幕府が置かれたわけではない。幕府の置かれた場所は、あくまでかまくらの中である。

歴史編集

キャバクラ幕府の成立時期はわかっていない。しかし源頼朝と北条政子が結婚して3年たった、つまり倦怠期をむかえた1181年ではないかと推測される。これに対し、2年ほどで倦怠期をむかえたと主張する学者も存在する。頼朝の存命中は、北条政子からたびたび襲撃を受けたため、強固な防衛システムを持つ要塞都市と化した。

1185年、指定暴力団幹部のヨシツネが入店を拒否される。ヨシツネは腰越状を頼朝に送り、腰を振って嘆願するが、結局入店はかなわなかった。

1219年には時の将軍である源実朝が、クラブ「HaChiManGu」で突然死する事件が発生し、キャバクラ幕府存続の危機におちいる。後鳥羽上皇がキャバクラ幕府を閉鎖し、巨大ショッピングモールを建設する計画を発表した。これに対しマサコ(源氏名)が反対演説を行ったために用地買収は難航、結局北条義時との雪合戦に敗れた後鳥羽上皇はショッピングモール計画を断念するに追い込まれた。

1226年、新将軍・藤原頼経(当時8才)がキャバクラ幕府に入り、年確にひっかかるという事件が発生する。以後、将軍が代わるたびに同様の事件が起きる。

1274年、隣の国の王様が「俺もキャバクラ幕府に行きたい」と言って日本訪問を計画。しかし変な病気が持ち込まれることを懸念した北条時宗がこれを拒否して雪合戦が始まる。1281年にも同様の理由で雪合戦が勃発した。隣の国の王様は3回目の遠征も計画していたが、志半ばで亡くなった。

かまくら時代後期になると、御家人が特定の風俗嬢に貢ぎすぎて貧窮することが社会問題となり、連日ワイドショーで取り上げられた。かまくら幕府は対策としてお店の「つけ」を帳消しにする徳政令をたびたび発布するが、そんなことをしても御家人は貢ぎ続けるため根本的な解決にはならなかった。しまいには「さんざん貢がせやがって」と逆ギレした楠正成など「悪党」と呼ばれる集団によってキャバクラ幕府は閉鎖に追い込まれた。

その他編集

当時、風俗街というシステムは画期的で、マルコ・ポーロの「東方見聞録」によってヨーロッパにも伝えられた。

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