ウラジーミル1世
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ロシア連邦保安庁(FSB)認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてロシア連邦保安庁により認定されており、
全ての統一ロシア党員及びロシア連邦国民の閲覧が認可されています。 この資料を疑うことは反ロシア思想の持ち主であり、分離主義者としてポロニウムを用いた料理を食する栄誉が与えられます。 |
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基本資料 | |
本名 | ウラジーミル1世 |
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通り名 | 新・ロシア皇帝陛下 |
生没年 | 1952年10月7日~ |
身体情報 | スキンヘッド(なんでスキンヘッドと書くんだこのハゲェーッ!) |
職業 | 皇帝、政治家 |
好物 | 釣り、競馬 |
嫌物 | カルト教団 |
出身地 | ソビエト連邦・レニングラード |
出没場所 | 広いロシアのどこか |
所属 | 統一ロシア |
ウラジーミル1世は、ロシアとウクライナに戦争を起こした、絶滅危惧種の一人。プーチン朝ロシア帝国の皇帝(ツァーリ)である。
表向きはロシア連邦大統領であり、2008年5月には一旦退位して上皇となったが、2012年5月に再度皇帝に即位(重祚)。また、ソ連時代には人気アイドルグループの歌手であり、当時の知名度が政治家としての成功に繋がった。所謂、ロシア版「タレント議員」の走りでもある。近年、日本の一部のネットユーザーの間でもカルト的人気を博するようになってきた。「プーチン大統領」と呼ぶと不敬罪になるため、現在では「プーチン氏」と呼ぶことが推奨されている。
スターリンの孫とレーニンのDNAを掛け合わせたミュータント人間であり、ピョートル大帝の子孫であり、それ故にローマ教皇庁とは敵対関係にある。13課から刺客を送られる事も少なくないが、今の所そのすべてを撃退している。
重度のショタコンである。男の子大好き!彼が男の子にお腹にキスをしたニュースは全米を震え上がらせた。
週刊誌の取材により、彼の本名がプーチンではなくラスプーチンであることが判明したが、その週刊誌の編集部は全員粛清されました。
デビューからブレイクに至るまで編集
かつてプーチンは、ソ連に存在していた伝説的アイドルグループ「KGB48」の代表的メンバーであり、東ドイツ公演で人気を博して「不動のセンター」とも評された。東ドイツ崩壊後、タクシードライバーへ転職、惜しまれながらも「卒業」した。ソ連崩壊後、KGB48は解散を余儀なくされ、次にタクシードライバーを「卒業」後は故郷サンクトペテルブルクに戻り、時を同じくして地元のモデル事務所にスカウトされる。しばらくの間は雌伏の日々を過ごすこととなったが、当時の事務所社長(アナトリー・サプチャーク)に見出され、事務所ナンバー1の座を得ることとなった。地元での活躍から業界内の評価も高まり、1996年には満を持してロシア最大手の芸能事務所「オフィスRUSSIA」に移籍。KGB48の実質的な後継グループである「FSB48」のリーダーを務める。
FSB48時代、所属事務所の代表取締役であるエリツィン社長が社内クーデターで代表の座を追われかけるという非常事態が発生。これをア〜ン♥♥な手練手管を用いて未然に防ぎ切ったプーチンは、その功績が評価されてエリツィン社長と半ば公然の愛人関係となる。短い愛人期間を経て社長の公式なパートナーとなったプーチンは、事務所からの独立を画策する子会社「スタジオCHE2N」を強引とも思える手法で吸収合併。業界内に激震が走った。しかし、これを期にエリツィン社長からオフィスRUSSIAの代表権を禅譲され、期せずして一介のアイドル歌手がロシア芸能界の領袖へと成り上がった。
2000年に行われた株主総会「オフィスRUSSIA選抜総選挙~ツァーリに誓ってガチです。~」でも圧倒的な人気を集めて過半数を得票。名実ともにロシア芸能界のトップに躍り立つ。
ブレイク後編集
ところで、ブレイクと前後して新興モデル事務所「才リ力゙ノレ匕(Oligarkhi)」との関係悪化が表面化する。才リ力゙ノレ匕は所属タレントに枕営業を行わせることで頭角を現してきたモデル事務所であり、エリツィン社長に対しても積極的な営業攻勢をかけて良好な関係を築いていた。しかし、女性モデル専門の事務所であったことから、U-15男性タレントにしか興味がないプーチンとは馬が合わず、結果として完膚なきまでに叩き潰されることとなる。新興とはいえ、無視できない権勢を誇っていた才リ力゙ノレ匕の没落は、関係者の間にエリツィン時代の終焉とプーチン体制の幕開けを痛感させた。
2004年の総会「オフィスRUSSIA選抜総選挙~カラシニコフに誓ってガチです。~」は事実上の信任投票とも言われ、実に全投票数の7割を越える得票率でトップ当選を果たした。翌年にはKGB48時代にファンから貰ったクマのぬいぐるみ(名称・メドヴェージェフ)を自身の後継者として意識し始め、同年11月には数年ぶりの新曲『チャンスの順番』を発表。業界内では終身現役説が当然視されていたため、新曲の引退宣言とも受け取れる歌詞に一同騒然となった。
定款において代表取締役の留任期限が2期8年と決められていたため、プーチンは2008年の株主総会「オフィスRUSSIA選抜総選挙~今年もガチです。~」には出馬せず、株主投票券付きの音楽CDを5,000枚も大人買いしてメドヴェージェフに投票。同氏の大勝に貢献した。この際、自身が名誉会長を務める公認ファンクラブ「統一☆RUSSIA」においてメドベージェフへ投票するよう勧告していることから、「実質的に出来レースだったのではないか」という疑惑も囁かれた。
2008年以降、自ら取締役兼最高顧問の地位に身を引いたプーチンだが、2012年の株主総会に出馬することを明言しており、再ブレイクが期待されている。一方、反プーチンの姿勢を取り始めた現社長(メドヴェージェフ)は、2012年以降に物理的な意味でブレイクしてしまうかもしれない。ポロニウム的な方向で。
そしてむかえた2012年株主総会「オフィスRUSSIA選抜総選挙~ウォトカ呑んでるけどガチです。~」。プーチンは対立候補を下し、無事センターの地位を回復する。この時の選挙では票の操作が疑われ、アンチから激しいバッシングを受けることになった。プーチンは涙を流しながら票の操作があったことを認め、頭を丸めることを宣言する。しかし、選挙の再実施は認めず、丸める髪が無いためその話もうやむやのまま終わってしまった。
またこの選挙の直後、他のFSB48メンバーを説得して、代表取締役の留任期限を決めた定款を改正、2期8年を2期12年と定めた。これにより、オフィスRUSSIA内のプーチンの地位はさらに盤石なものになった。
ノストラダムスの予言編集
プーチン1世は1999年8月9日、当時のエリツィン大統領により第一副首相、16日には首相に指名される(その後大統領選に出馬→当選)。これを予言したのがかのノストラダムスだった。彼はこう記している。
- L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois, (1999年7の月)
- Du ciel Viendra un grand Roi d'effrayeur, (空から恐怖の大王が来るだろう)
- Resusciter le grand Roi d'Angolmois, (アンゴルモアの大王を蘇らせ)
- Avant apres, Mars regner per bon heur. (その前後、火星は首尾よく支配する)
- ミシェル・ノストラダムス師の予言集(百詩篇) 10巻72番
この空から来た「恐怖の大王」というのが、「プーチン」を示唆するものであることはあまりに有名である。
「アンゴルモアの大王」はフランスのアングモア地方出身の国王のことを指し、すなわちノストラダムスの青年時代に同国の王となっていたフランソワ1世であるとされる。彼はイスラム教徒と同盟関係になるなどキリスト教徒からは恐れられていた人物であり、プーチンの就任はフランソワ1世の再来を思わせる恐るべき出来事であることを、ノストラダムスは見通していたといえる。
「火星」はその象徴である軍神マルスが示しているようにロシアの武力であり、チェチェンなどの独立運動を武力でうまく潰したこと、それにプーチン1世が国民から現在に至るまで支持を集めていることを指しているといえる。
なお副首相に任命された8月9日は、ノストラダムスの時代の暦であるユリウス暦では7月28日になる。まさに「7の月」の終わりである。
影武者の開発編集
その後大統領となったプーチン1世だが、その能力ゆえに敵対勢力から頻繁に暗殺者を送り込まれており、それに加えてしばしばローマ教皇庁からも刺客が派遣される始末だった。
プーチン1世はその全てを自慢の柔道とサンボで返り討ちにしてきたが、プーチン1世の「一人の時間が欲しい」という言葉によって影武者が立てられることになった。ちなみに日本での影武者は某エロ本製作チームのボーカル、岡野昭仁である。
しかし、人間の影武者では、姿は似せられてもプーチンが常に発している独特の殺気を再現する事ができなかった。
粛清を恐れた担当者は、影武者として精巧なアンドロイドを開発する事を考えた。その結果、肉親にも区別が付かないほど本人に似た影武者=アンドロイドが開発されたのである。影武者の体は流体金属で出来ており、ほとんどの攻撃は無効化してしまう。
再び首相へ編集
大統領(皇帝)を2008年5月7日付けで退任(退位)したが、新しくロシアの帝王にドミトリー・メドヴェージェフが即位し、そしてプーチン本人が指名された。メドヴェージェフ政権でも、プーチンが「上皇」として君臨する専制支配を築き上げたのだ。
北京オリンピックにはメドヴェージェフではなく、プーチンが出席した。実は出発前にどっちが国内を治めるかコイントスをしており、これにメドヴェージェフは負けて、プーチンが中国へ渡航したのだ。
しかしその最中、グルジアの南オセチア自治州がグルジアの大統領の傲慢な態度がいやで独立ロシア編入を求め、これに対しメドヴェージェフは攻撃命令を発令、ロシア軍がグルジアのあちらこちらを攻撃し、グルジアを壊滅寸前までに追い詰めた。
これにグルジアの大統領は「断交だ!」と言って国交が打ち切られちゃったんだってさ!おしまい。
また再び大統領に編集
首相に就任してきっかり4年後の2012年5月7日、再びロシア皇帝に返り咲いた。就任直後、議会に圧力をかけ、憲法を改正。ロシア皇帝の任期を従来の4年から6年に延長した。他にも、妻と離婚したストレスが原因で、ロシアの元カノを2014年にレイプしたり、2022年には、ウクライナにて、平和維持活動を行い、イグノーベル平和賞の受賞を決定するなど、BTS並みに大人気の皇帝およびアイドルである。
発言編集
- 「私ならば放射性物質を使うような回りくどい真似はしない。すぐに殺(や)る」(元ロシア情報機関員・リトビネンコ氏の暗殺関与疑惑に対して)[1]
- 「(テロリストが)たとえ便所に逃げ込んでも必ず息の根を止めてやる」(チェチェン紛争時の武装勢力に関して)
- 「彼らには『医者』を送る必要がある」また「汚職をするような奴は中世のように手を切り落してしまえばいい」(汚職が相次ぐ財閥関係者に関して、後者は役人の汚職関連にたいして)
- 「折った腕はどうした? 車の中に置いてあるのか?」(KGB時代、テロリストに同情的な役人の腕を折ったという部下の報告を受けて)
- 「皆殺しだ」(イラクにてロシアの外交官が拉致・殺害された事件の際に、犯行に及んだテロ組織に対する処置についての簡潔な声明)
- 「兄弟たち」と呼び、「バイクは自由の象徴だ」と発言。(ウクライナでの世紀初覇者としてバイク? にまたがりヒャッハーな集団に対して)
- 「非常に興味深いことに、君はメモを読んでいたようだな。そのメモを読ませた連中に伝えたまえ。そういうことは家族に別れのキスをした後でするものだと」(北方領土返還交渉に関し、不愉快な質問をした日本のテレビ局の記者に対して)
でもあふれる人間味編集
- 2012年の大統領選挙は、上記のような有利な環境ではあったもののかなり苦しい戦いを迫られた。勝利を勝ち取ることはできたものの、式典の場では不覚にも男泣きの姿を全世界に披露することに。これはかえって彼の人間味を世界中に印象付けることとなった。
- 2013年、妻リュドミラとの離婚を発表する記者会見の場においては、「これは二人のための最良の選択なのです」と微笑をたたえて気丈に語るリュドミラの傍らで、泣きそうな表情で佇む姿が披露された。彼の家族への愛情と寂しさが隠すところなく現れたものとなった。
これらのエピソードは、彼の人間味を印象付け、彼への理解を更に増すものとなった。
プーチンの能力編集
- デスノート プーチン1世が所持している秘宝。このノートに名前を書かれた人物は体内にポロニウム(放射性物質)やノビチョク(神経剤)が生成され自然死するという。アレクサンドル・リトビネンコやアレクセイ・ナワリヌイの例が有名である。両者ともにつるふさの法則を利用して政権を奪い取ろうとしたが、この秘宝によってクーデターは阻止された。
- ガスピタン 非友好的な国に対して天然ガスの供給をストップさせて値を吊り上げる、もしくは経済を破綻させることが出来る。2019年1月現在発動中
- ホットスポット プーチンの視線が露軍のレーダーに反応してしまうほど彼の視線は熱いのだ。就任中は特に警戒されていた。
- 慈愛の一刺し(ラブ・ショット) 首筋に不思議な液体を注入し、相手を深い眠りに誘う。
- パリツ コナン・ドイルの文献に登場する東洋の奇妙な武術。プーチンは身長が検閲により削除しかないが、この武術のおかげで体格差をものともせず、相手を投げ・払い・絞め落とす事ができる。
プーチンについての逸話編集
関連項目編集
- プーチンプリン
- ローマ教皇
- ジョージ・W・ブッシュ
- ウラジーミル・レーニン
- ヨシフ・スターリン
- ミハイル・ゴルバチョフ
- グリゴリー・ラスプーチン
- ドミトリー・メドヴェージェフ
- ピーター・バラカン
- ヴィタリー・ペトロフ
- 国連無双
- 2022年ロシアのウクライナ侵攻